日本人にとって、第一次世界大戦は馴染みが薄く、関連する歴史資料に触れる機会はあまりないかもしれませんが、ヴェルダンの戦いという単語を世界史の教科書で目にした人はいるかもしれません。
フランス東北部のロレーヌ地方で繰り広げられたこの戦いは、第一次大戦でも最も激しい消耗線となった地で、ドイツ・フランス軍合わせて70万人以上が犠牲になったと言われています。第一次大戦が終結した4年後には、当時皇太子であった昭和天皇も視察に訪れたそう。世界情勢が不安定になりつつある今、大戦の歴史を肌で感じることのできるヴェルダンをご紹介します。
目次
第一次大戦の最大の激戦地、ヴェルダン
ヴェルダンの塹壕からみる激戦の様子
第一次大戦の最大の激戦地、ヴェルダン
パリからヴェルダンへはTGVでムーズ県まで行き、ローカルの電車(TER)でアクセスできます。パリから2時間ほどの距離なので日帰り観光も可能ですが、ヴェルダン内の観光地を公共交通機関で回る場合に時間がかかるため、非常にタイトなスケジュールになります。もしくは、ロレーヌ地方の中心都市メッツ(Metz)や近隣国のルクセンブルク(Luxembourg)に滞在して、そこからローカル電車もしくはバスでアクセスすると、ヴェルダンにある様々な遺跡を数日かけて回ることができるため、おすすめです。
ヴェルダンの市内中心部にはツーリストインフォメーションがあり、観光マップが手に入るほか、観光の相談も可能です。
ヴェルダンの塹壕からみる激戦の様子
第一次大戦においては、フランスとドイツの国境沿いに約600kmに渡り塹壕が掘られました。ヴェルダン は歴史的にドイツとフランスによる領土争いの的であったため、両国民が奪取したい地であったこともあり、両国とも譲れない場所であったそう。

大戦の様子を知ることのできる観光地の1つに、塹壕「Tranchée de Chattancourt(トランシェ・ドゥ・シャトンクール)」があります。この塹壕は、1916年に「Toulouse(トゥールーズ)塹壕」と「Chattancourt(シャトンクール)塹壕」の2本の塹壕が重なった位置に、当時の記録と生存者の証言をもとに再現されました。
塹壕は100mに渡り、シェルターや居住地域が再現されています。再現に利用されている土嚢用のキャンバスバッグはフランス陸軍から提供され、波型鋼はシャトンクールの農場や近隣のコミュニティで発見された第一次戦争に実際に使われたものです。塹壕の再建築は2年以上かかり、その作業中にも、地中から多くの遺品や兵器の残骸が見つかったそう。
塹壕の入り口にはメモリーウォールが設置されており、ヴェルダンの戦いに召集された兵士の写真やプロフィールが紹介されています。フランス以外にも連合軍に属した様々な国出身の兵士がヴェルダンの戦いに参加していたことがわかります。ここには、実際に戦争に参加した経験のある兵士の家族などが訪れた際に、思い出となる写真や遺品を飾ることが許されています。

1916年2月から12月まで10ヶ月間続いたこの戦い。当時のメニューから1916年4月のイースターでは、特別なメニューが提供されていたことがわかります。さすが、美食の国、フランス。

各国の兵士が使っていた食器を比較した展示もあります。

塹壕の各所で、ヴェルダンの戦いに実際に参加した兵士の経歴、軍隊での役割などが仏・独・英の3カ国語で説明されています。
