第80回ベネチア国際映画祭で8日(日本時間9日)、濱口竜介監督の「悪は存在しない」が国際映画批評家連盟賞を受賞した、という朗報が流れた。当方は同監督の映画の内容はまったく知らないが、そのタイトルが気になった。

ギュスターヴ・ドレによるジョン・ミルトンの「失楽園」の挿絵、「地球へ向かうサタンを描いている」 Wikipediaより

ギュスターヴ・ドレによるジョン・ミルトンの「失楽園」の挿絵、「地球へ向かうサタンを描いている」 Wikipediaより

以下のコラムは映画の内容とは全く関係がないことを先ず断っておく。

当方は「悪は存在する」と確信しているので、どのような脈絡からにしても「悪は存在しない」といわれれば、「悪は存在する」と叫ばざるを得ないのだ。実際、悪の存在が証明されれば、これまでの未解決な問題や事件の核心が解明できるのだ。逆にいえば、悪の存在を知らない限り、私たちは自身の存在を含め、多くの事が分からず、悪に翻弄されるだけの存在になってしまう、といった懸念を感じるのだ。

誤解を恐れずに言えば、現代は「神の存在証明」よりも、「悪の存在証明」のほうが数段容易な世界に生きている。戦争は至る所で起き、飢餓、自然災害が広がっている。人生の目的が分からず苦悩している人が多い。

そのよう中で、多くの人々は「神は存在しない」、「愛の神はいない」と感じ、「神の不在証明」を嘆いたり、怒ったりするが、「戦争や紛争、飢餓の背後には、悪が暗躍している」と喝破し、「悪魔の存在」を指摘する人もいる。世界の現状を「神の不在証明」と受け取るか、「悪の存在証明」と考えるかは人によって異なる。

米国のサスペンス映画「ユージュアル・サスぺクツ」(1995年作)の最後の場面で俳優ケヴィン・スペイシーが演じたヴァーバル・キントが語る有名な台詞を紹介する(スペイシーはこの役でアカデミー助演男優賞を得ている)。

“Thegreatesttrickthedevileverpulledwasconvincingtheworldhedidnotexist” (悪魔が演じた最大のトリックは自分(悪魔)が存在しないことを世界に信じさせたことだ)

それではなぜ悪魔は自身の存在を隠すのか。パパラッチ対策ではない。神が存在しないことを人間に信じさせるために、先ず自分が存在しないことを宣言する必要があるからだ。悪魔が存在していれば、神は何処にか、という問題が湧いてくる。だから悪魔は天地創造の神を否定するためには「自分は存在しない」と言いふらさなければならないのだ。

私たちは本来、「神の存在証明」より、「悪の存在証明」を優先して取り組むべきだ、という結論になる。過去の多くの哲学者、神学者は前者を優先してきた。ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは「神は死んだ」と語り、神の不在論を展開させたが、悪が存在するか否かについて言及していない。神は「実存在」だが、「悪魔」は架空の作り物というわけだ。悪魔にとってこれほど都合のいい論理はないのだ。「この世の神」悪魔(サタン)は、地上の人間に「自分は存在しない」と信じさせることに成功しているのだ(「悪魔『私は存在しない』」2021年6月23日参考)。