日野初の独自モデル、RRレイアウトの大衆車、コンテッサ900
まだ4CVの生産が続いていた1961年、いよいよ日野初の独自車種として「コンセッサ900」を発表、リアエンジン・後輪駆動のレイアウトは、フランス本国でルノーが新たに生産していたドーフィンを参考に、とも言われましたが、日野によれば純粋なオリジナル製品。
他にもキャブオーバー型1BOX商用車ながら、珍しくFFレイアウトを採用した「コンマース」(1960年)、小型ボンネットトラック「ブリスカ」(1961年)を発売、小規模ながら乗用車、商用バン、小型トラックと、当時の日本で求められたラインナップが揃います。
本業に近い「ブリスカ」は、当時の小型トラック大手だったダットサン(日産)へ唯一対抗可能な車種として他のライバルより好評で、後にトヨタ傘下入りした際にも継続生産されて、後継の小型トラック開発も任され、「ハイラックス」を生み出します。
コンテッサも初代にあたる「コンテッサ900」は、デザインこそオリジナルなものの、4CVで定評を得ていたタクシー業界から正常進化モデルとして歓迎され、まずはタクシーとして認められないと成功につながらなかった乗用車市場で、しっかり足がかりを作りました。
モータースポーツへも高い関心、コンテッサ1300
コンテッサ900を成功させた日野は次のステップとして後継車「コンテッサ1300」を1964年に発売。
RRレイアウトは踏襲しつつ、低く伸びやかなボディにグリルレスで丸目4灯式ヘッドライトのデザインは車名の「コンテッサ」(イタリア語で「伯爵夫人」)をモチーフにイタリアのカロッツェリア、ミケロッティがデザインした優雅なもので、「貴婦人」とも呼ばれます。
コンテッサ900がベースの「コンテッサ900スプリント」や、1300ベースの「スプリントGT」もミケロッティの作で、もし日野がトヨタ傘下になってからも、ダイハツのように独自車種の開発を許されていれば、個性的なデザインのクルマを続々と生んだかもしれません。
また、カーマニアクラブ「105マイルクラブ」を中心としたレース参戦にも積極的で、第1回日本グランプリではツーリングカーのC-IIIクラスで、DKW(西ドイツ)や本家ルノー ドーフィンと対決して優勝!
翌1963年の第2回グランプリでは三菱のコルト1000に阻まれたものの、コンテッサのエンジンを使ったフォーミュラカー「デル・コンテッサ」や、俳優の三船 敏郎が監督のチームで、ピート・ブロックが設計したレーシングカー「ヒノ・サムライ」へもエンジンを供給。
高性能のDOHCエンジンも製作するなど、乗用車メーカーとしては小さな所帯ながらも熱意をもって挑んでいましたが、1966年のトヨタ傘下入りで翌年にはコンテッサ1300の生産を終了、以降はトラック・バス専業メーカーとして専念していきました。
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文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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