かつては乗用車メーカーだった事もあった、日野自動車

「トン・トン・トン・トン・ヒノノニトン」だけじゃない!日野自動車はかつてカッコイイ乗用車も作っていた【推し車】
日野オートプラザ(東京都八王子市)に展示されている、コンテッサ900スポーツスプリント(画像=『MOBY』より引用)

2023年5月にダイムラートラック(ドイツ)傘下の三菱ふそうバス・トラックとの経営統合を発表、2024年にもトヨタ子会社という立場から離れる見通しの日野自動車。

2022年3月に日本国内向けエンジンの規制適合に関する不正が明らかになり、外資を入れての再建を要する深刻な状態が明らかになるまで、日本の最大手トラックメーカーとされてきましたが、1960年代にトヨタ傘下となる以前は乗用車メーカーでもありました。

日野ルノー4CVのノックダウン生産に始まって技術を蓄積、小規模ながらも個性的なクルマを販売し、トラックやバス専業となってからもダカールラリーのカミオン部門へ積極的な参戦を続けてきた日野自動車の乗用車メーカー時代を振り返ります。

戦後復興期に小型タクシーの傑作だった、日野ルノー4CV

「トン・トン・トン・トン・ヒノノニトン」だけじゃない!日野自動車はかつてカッコイイ乗用車も作っていた【推し車】
日野が1953年から生産し、「亀の子タクシー」の名で親しまれた日野ルノー4CV ©MOBY(画像=『MOBY』より引用)

戦時中、旧・瓦斯電(東京瓦斯電気工業)自動車部門の技術者を中心に、ヂーゼル自動車工業(後のいすゞ)から分離独立した日野自動車は、戦後も元サヤに戻ることなく独立してトラックやバスメーカーとして存続する中、乗用車市場への進出を図ります。

その当時は通産省(現・経済産業省)の後押しで、完成車輸入ではなく技術習得を目的とした外国車の国内生産が奨励されており、英オースチンと提携した日産、英ルーツ・グループと提携したいすゞと並び、日野も仏ルノーと提携しました。

生産したのは750cc級の小型大衆車4CVで、「日野ルノー4CV」としてまずは輸入部品を組み立てるノックダウン生産、次第に部品の国産化を進めて100%国内生産へと移行する中で独自改良も行い、日野は乗用車の開発・生産技術を蓄積していきます。

また、日野ルノー4CV自体も「亀の子タクシー」と呼ばれて戦後復興期の小型タクシーでは人気車種となり、当時を振り返るような企画ではよく登場する車種です。