継続できるのは創作にまわった人
過去記事、消費に飽きた人は、残りの人生で何をすればいいか?で書いたが、受動的な娯楽のほとんどは必ずといっていいほど「飽き」が待ち受けている。これはサブカルに限った話ではない。あらゆる受け身の娯楽はいつか飽きるのだ。
30代、40代以降でもゲームやアニメなどにハマっている人は何が違うのか? 1つには受動的ではなく、創作性を持たせていることだ。自分は10代の頃、ゲームのタイムアタックコンテストに熱心に応募していた時期があったのだが、その時に知り合ったライバルの一人は今では40代になったがYouTuberとしてゲーム実況者をやっている。非常に人気の配信者で華麗なテクニックや素晴らしい解説にコメント欄はいつも盛り上がっている。彼の場合はゲームというサブカルを受け身ではなく、発信者側としてクリエイティビティを発揮して仕事に昇華している。
また、ブログやYouTubeで素晴らしい作品を解説したりレビューしたりといった仕事をしている人もいる。この場合もやはり、研究者やレビュワーとしてクリエイティビティを余すことなく使っているのだ。彼らは自分が愛する作品を取り上げ、どのシーンが素晴らしかったのか?制作者は何を伝えたかったのか?制作の裏側は?といったことを解説し、記事や動画は作品のファンで熱く盛り上がっている。
趣味に飽きる前提で生きる「自分は大好きなゲームやアニメがあるから、これだけで一生楽しめる」これはサブカル好きなら一度は考えた経験があるだろう。自分もそうだった。
だが現実的にそれは難しいと言わざるを得ない。人間の飽きの力は想像以上に強力だ。上記の通り、創作性を持たせれば40代以降も戦える人がいると書いたが、そもそも創作できる人はある種の才能の持ち主であることは疑いようもなく、加えて創作している人でさえその道半ばでネタ切れや飽きと戦っている。
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ずっとサブカルがメイン、第一主義だった人も、年齢を重ねるとサブカルの位置づけはまさしく「メインではなくサブ」になっていく。人生のメインに来るのは仕事や家族、お金など現実的な問題であることが多い。そうなった時、虚無に襲われ立ち尽くしてしまうことがないようサブカルを過信しすぎない方がいいかもしれない。自分自身、大好きなサブカルと疎遠になってしまう日を覚悟している。
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