松野博一官房長官が先月末の記者会見で「虐殺の事実関係を把握する記録は見当たらない」と主張するなど、事実に向き合おうとしない風潮は根強い。参加者たちは「負の歴史から目をそらさず、二度と繰り返さない社会をつくろう」と誓い合った。
朝鮮人虐殺の再来を危惧するならば、100年前に起きた虐殺ではなく、震災後今日至るまでの100年間「虐殺はなかった」事実から目をそらさず、その構造を解析・延長させることを考えるべきである。

関東大震災 京橋の第一相互ビルヂング屋上より見た日本橋および神田方面の惨状 Wikipediaより
関東大震災後の100年間、阪神淡路大震災・東日本大震災のような関東大震災に匹敵する大規模地震が起きたにもかかわらず、朝鮮人虐殺はおろか在日外国人への虐殺は起きていない。
100年間「虐殺はなかった」シンプルな理由は防災対策、特に火災対策が進み被災者のパニックが抑制されたからである。
関東大震災の死者・行方不明者のほとんどは火災である。その割合は9割を超える。当時の日本は木造住宅が主流であり、地震とは建物の倒壊、津波の到来だけではなく火災も意味した。
関東大震災発生から東京は約3日間にわたり火災に襲われ文字通り焼野原になった。被災者は焼野原の中にいたのだ。
そして「被災者は焼野原の中にいた」という事実は、彼らは深刻な情報不足に置かれていたことを意味する。「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」というデマが受容された原因として情報不足が大きかったと思われる。
現在のように子どもでもスマホを持つ「情報過多」社会ではデマが流れたとしても直ぐにそれを否定する情報発信が可能である。
しかし、情報不足の環境では「デマ否定の情報発信」は期待できない。関東大震災直後の焼野原と、現在のSNSの情報洪水は、真逆の環境である。
このことからSNS上の差別表現を根拠に「現在も朝鮮人虐殺のリスクがある」と評価するのは誤りである。
とってつけたように2018年の熊本地震での外国人犯罪の誤情報が取り上げられるが、武装した自警団が多数結成された事例とこれを同一に評価するほうがおかしい。
マスコミはデマを警戒するがどうだろうか。災害時におけるマスコミの役割は積極的な情報発信であり、デマの警戒は情報発信の抑制に繋がりかねない。
「デマは駄目だ」というのはあくまで一般論に留め、災害時、マスコミは積極的な情報発信に努めるべきだ。