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問題は明らかだったが、日産には熟成する時間がなかった
国内では競技からストリートまで大暴れ!
問題は明らかだったが、日産には熟成する時間がなかった
ただし、「小さな車体に格上のパワートレーン」はそう単純な話ではなく、まずもってコンパクトに詰め込むので熱がやらとコモりますから、冷却系の強化と冷気の導入、熱気の排出を効果的に行えなければ、ラリースペックの高性能チューンではいくらも走れません。
また、熱問題を解決してパワーを思い切り路面に叩きつけようとしたところで、構造上の問題によりサスペンションのストロークが取れないだの、太いタイヤを履けないだのという問題を解決しない限り、どれだけパワーがあっても無駄!
だからこそ2リッター4WDターボがどれだけパワフルだろうと、時には1リッターターボでFFのダイハツ シャレードにすら遅れを取るわけで、パルサーGTI-Rもまんまとその罠にハマりました。
ただ、そんなものはあくまで初期トラブルのひとつに過ぎず、三菱のランサーエボリューションだって最初の「I」ではロクなマシンじゃなかったのが、「II」以降でベース車から大幅に改良していき、「V」ではついにワイドボディ化、ベース車と全く別車です。
パルサーGTI-Rも「エンジンルームの熱問題と、タイヤサイズが致命的」なんて言われますが、WRCで総合優勝争いに絡み続ける努力を続けられるなら、いずれ「GTI-Rエボリューション」的なモデルが登場し、全てを解決していたかもしれません。
だからパルサーGTI-Rにとって最大の問題は、メカニズム的なものより「日産の経営悪化」でした。
よく言われる「901運動で劇的に質的改善を果たした名車群」は、実のところバブル全盛期の日産にとって、販売競争に寄与しない重荷(※)でバブルの負け組でしたし、加えてバブルが崩壊すると、恩恵も受けていないのに販売台数はさらに低迷。
(※代表例がR32スカイラインセダン)
結果、1992年シーズンをもって、根本的な改善を施す時間もなかった「未完の大器」パルサーGTI-RはWRCから撤退、その後の日本車黄金期は指を加えて見ているしかなかったのです。
国内では競技からストリートまで大暴れ!
しかしWRC撤退はパルサーGTI-Rの終わりを意味しませんでした。
確かに国際レベルで通用するには熟成不足もいいとこでしたが、全日本選手権レベルのラリーやダートトライアルで活躍するには十分以上のポテンシャルを持っており、天井知らずのバージョンアップを続けるランエボなどより、安く買っては腰を据えて付き合えました。
もちろんストリートでも安くてパワフルなコンパクト4WDモンスターは大歓迎でしたし、日本国内でのパルサーGTI-Rは、日本の国情によく合うサイズもあって大活躍だったのです。
2000年代に入っても地方選手権クラスまでの競技で活躍を続けましたし、型落ちやお下がりのランエボやインプレッサWRXを安く買えるようになるまで、現役でした。
さすがに2000年代後半以降も活躍し続けるには、バージョンアップを続けていたライバルが強すぎたものの、往年のファンによって今も多くのパルサーGTI-Rが大事に乗り続けられています。
晩節を汚すことがなかったとも言えるわけで、こういうカーライフの方が案外幸せかもしれませんね?
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・兵藤 忠彦/提供元・MOBY
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