産経新聞ワシントン駐在客員特派員で麗澤大学特別教授の古森義久氏はアゴラ言論プラットフォームで「『8月の平和論』の危険性」というタイトルで、「日本の『8月の平和論』は非武装、無抵抗、服従の平和とみなさざるをえない」と指摘し、日本で8月15日の終戦記念日の前に報じられる平和論への危険性を強調し、「どの国家も自国を守るため、あるいは自国の国益を守るためには、最悪の場合、武力という手段にも頼る、という基本姿勢を揺るがせにしていないのである。それが国家の国民に対する責務とさえみなされているのだ」と主張している。全く正論だ。

カザフのトカエフ大統領、国民へ「公正な経済方針」の教書演説(2023年9月1日、在日カザフ大使館公式サイトから)

CTBTOのフロイド事務局長、被爆者に祈りを捧げる(2023年8月6日、CTBTO公式サイトから)
核廃絶を訴えるためには、現実の世界の政治情勢を無視しては空論に終わる。地球を何十回も破壊できる核兵器が世界で保有されている時、その核兵器の廃絶という目的は「8月の平和論」だけでは実現できるものではない。
日本は実際に核兵器の恐ろしさを体験した世界で唯一の国だ。それだけに日本の核廃絶の叫びには深刻さが伴う。たとえ、砂漠での叫びに終わろうとも。被爆国は核廃絶を訴えることに倦んではならない。日本の責任だろう。
ところで、日本と同じように、大量破壊兵器の恐ろしさを身に染みて体験している国がある。旧ソ連共和国だったカザフスタンだ。旧ソ連時代、カザフスタンのセミパラチンスク(Semipalatinsk)で456回の核実験が行われた。具体的には、大気圏実験86回、地上実験30回、地下実験340回だ。最初の実験は1949年8月29日。最後の実験は1989年10月19日だ。
セミパラチンスク実験場の広さは1万8500平方キロメートル。核実験の結果、同市周辺ではがん患者の発生率が非常に高い上、異常児出産が多発、約160万人が核実験の放射能の影響を受けたと推定されている。同実験場は1996年から2001年にかけて取り壊された。181の地下トンネルや13の未使用のトンネルが破壊された。ハーバード大学のグラハム・アリソン教授は、「核時代について書くならば、カザフに関する一章を設けなければならないだろう」と述べているほどだ(「セミパラチンスクとロプノールの話」2019年6月17日参考)。
そのカザフのムラト・ヌルトレウ外相(副首相兼任)は「核実験反対の国際デー」」(The Internatinal Day against Nuclear Tests)の先月29日、ウィーンに暫定事務局を置く「包括的核実験禁止機関」(CTBTO)のロバート・フロイド事務局長と連名で核実験反対の11項目から成る共同声明を発表している。