もともと神宮の内苑、外苑は明治時代に世界博覧会を開催する予定地だったのですが、それが時世もあり中止となり、明治天皇ご逝去に伴い、現在の明治神宮に奉り、外苑はスポーツの祭典の場として展開されたという歴史が背景にあります。
では内苑、外苑の土地はそもそもはどうしたのか、といえば国民の寄付や奉仕活動により維持された土地とされ、1926年に明治神宮に奉献、その後、風致地区として今日に至っていたわけです。
宗教法人明治神宮は一般寺社業務収入は知れており、多くが外苑を通じての事業収入で成り立っているとされ、その収入で現在の広大な敷地の管理をしているわけです。が、古くなったスポーツ施設では明治神宮は経営できない、そこで三井不動産は巧みに明治神宮の懐に入り込んでいったというのが流れです。
こう見ると明治神宮と外苑の土地はより国民の土地的な要素が強く、明治神宮にそれを委託したわけですが、明治神宮がそれを当初の意図から変えた用途にするのは精神論やそもそも論からするとおかしいのです。
今回の開発の流れを見ると三井不動産と伊藤忠が開発の主導をするにあたり、利益を生む住宅なり、オフィスビルなりの開発を取り込むことで古くなった神宮球場や秩父宮ラグビー場を建て替えようという訳です。それが正しい方向なのか、いつの間にか計画が進んでしまったこの再開発計画ですが、本当に必要なのか、正しい都市計画なのか、それをすることで何がよくなるのか、開発計画はネガティブな点を差し引いてもやる価値がある案件なのか、など様々な疑念はあるのです。
何故ならば神宮は国民の寄進もあった土地ゆえにごく少数の民間業者が利益を得るという行為はなじまないのです。
ところで東京都の都市計画が本当に日本の歴史を考えた上で計画されたのなら明治神宮に繋がる表参道がなぜ、青山通りとの交差点で終わってしまっているのか、これは残念なのです。本来であれば外苑に繋がらなければならないはずですが、高級店が立ち並ぶ東京の超一等地、青山通りの目抜き通りは無味乾燥な高層ビルが立ち並びます。本来であれば表参道と同様の並木が絵画館入口まで繋がる緑の回廊を形成すべきでした。
それとあまり知られていませんが、外苑と明治神宮を結ぶ表参道とは別に「裏参道」、別名「北参道」があります。国立競技場の北側や東京体育館の北側に都道414号がそれです。首都高や中央線の線路沿いに当たります。まさに桑田さんのスタジオのそば。
その都道414号をまっすぐ西に行くと代々木と原宿の間の山手線の高架下を抜け、明治神宮の北衛士詰所にぶち当たり、そこから神宮の本殿に向かって立派な参道がついています。明治神宮といえば多くの人が原宿経由で参拝に行きますが、私はこの北側からのアクセスが人も少なく、とても落ち着きがあり、好きなのです。
外苑の再開発、もう一度、話題になると思いますが、こういう視点で見るとやはり何かしっくりこないのが今回の計画ともいえましょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年9月4日の記事より転載させていただきました。
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