この問題は、往々にして日本の社会問題について論じる際に指摘されるのだが、私は、むしろ政治の世界でこそ世襲の弊害が大きいのではないかと見ている。
現在の国会議員のかなりの部分が、二世と三世に占められていることからも明らかだ。
またなぜ日本は停滞しているのかということについて、同氏は
なぜ、このような情けない事態に陥ったのだろうか。第一に考えられるのが、先にも指摘したように、世襲制が蔓延ってしまったためである。日本人にはいまだに優秀で、若い人でも『この人は、政治家になると伸びるのではないか』と思われる人に会うことは少なくない。しかし、その人が本当に政治家になるにはどうすればいいか想像すると、とても政治家になることを勧めるわけにはいかなくなる。
日本で政治家に成ろうと思えば、一番の早道は政治家の子供に生まれるか、政治家の子女と結婚すること、或いは政治家の秘書になって気に入られることだろう。しかし、この道が現在の日本で優れた政治家を生まないことは、もはや証明されたも同様である。現在の政治家のほとんどが、このコースをたどって政治家となり、その結果として現在の停滞を招いているのだ。
第二に、やはり官僚主義が変化への対応を遅らせてしまっている。官僚が強くなったために政治家が自分たちのなすべきことまで官僚に渡してしまった。官僚に任せきりで、個人的にははっきりした政治的信念を持っていない人が多くなった。
第三に、…バブルやその崩壊の中で、それまでの方法が通用しなくなったが、そのため以上に自信喪失することになってしまった。失礼ながら日本人は今、びくびくして生活しているように見える。怯えながら経済活動をしている。
ASEANに関係して同氏は、
これまで日本は多額にのぼる援助を行い、多くの企業を進出させながら、どこか及び腰のところがあって、ASEANの国々の信頼を獲得していない。日本がもう少し政治的にこなれたところを見せない、ASEANの国々も不安なのである。
…こうした真面目さや真剣さによって作り上げられた各部分は優秀でも、部分を組み合わせて全体で実践に移す場合は、また別の要素が要求される。この別の要素とは、日本人が考えているような能力ではない。もっと精神的なもの、いわば信念といったものによって支えられるのである。日本人にはこの信念が希薄なのである。少なくとも現在の日本人には自信が欠落している。その為に自分に対する信頼感が持てず、堂々と実行に移す迫力が感じられないのである。
…政治家の能力がないからではなくて、信念あるいは自分に対する信頼感が欠落しているからなのである。
今の日本の政治家に、欠けていることは何かという問題に繋がるテーマでもある。政治家が能力と利害によって判断する限り、この方向で人間が教育される限り、日本の政治に幅や大局観など生まれるはずはない。
政治家は時として能力や利害を無視できるようにならなければならない。・・・信念や自信を考えられなくなってしまった日本人だからこそ、政治家として優れた人間が出てこなくなったともいえるのである。
李登輝氏の著書の一部内容を上記に紹介したが、長年異文化の中で生活している筆者から見ても、同氏の指摘は的を射ていると思う。上記には加えなかったが、日本政府がことをなす前に米国や中国へ「お伺い立てる」ことについても同氏は苦言を刺している。日本の政治家がやっていることに自信を持っていればそのようなお伺いなど必要ないことである。
このような指摘が正に日本の子供たちの実践教育の中に必要なのである。
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提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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