「天災は忘れたころにやってくる」の名言は夏目漱石の一番弟子だった物理学者の寺田寅彦が残した言葉です。台風などは気象予報を受けて一定の準備期間をもって対策が出来ますが、地震についてはほぼ無防備の状態で受け入れなくてはいけません。最近は北朝鮮がミサイルをポンポン飛ばしていますが、それが仮に想定と違う軌道を描き、日本の本土に落ちることもないとは言えないわけで、それも意図しない災害(?)とも言えるのかもしれません。9月1日は関東大震災からちょうど100年。震災について考えてみましょう。

阪神淡路大震災が1995年、東日本大震災が2011年、それ以外にも新潟中越地震が2004年、熊本地震が2016年と5-10年ごとに大きめの地震が日本国土のあちらこちらで発生しています。それを考えると熊本地震からは7年、震度7を記録した北海道胆振東部地震からも5年です。確率的にはこの数年内にどこかで何かが起きてもおかしくない、そんな状況にあるかと思います。

地震そのものは活発期と停滞期があるとされ、例えば1850年代に小田原、東海、南海、江戸と大きな地震が立て続けに起きていますし、戦中戦後の1943年から48年に1000人以上なくなった地震が5回起きていたそうです。例えば44年12月に紀伊半島沖で発生した地震は津波もあり、1200名以上が亡くなっていますが、当時の報道は小さく、今ではその存在すらあまり知られていないようです。

戦中戦後の活発期の後、大型地震は阪神淡路までなかったとされ、そこをきっかけに活発期に入っているのではないかという見方もあるようです。ただ、過去の活発期が10年程度と短いことを考えると素人ながら1995年から現在まで活発期であるという論拠はやや薄弱な気もします。この辺りは研究が待たれます。

さて、我々には何ができるか、です。個人的にはこのブログで以前、指摘したようにまずは2点抑えたいと思います。1つは災害が起きて非難をする際にどこか代替の避難場所があるのか、2つ目は自分の住む建物の地盤を知り、リスク度合いをある程度認識すべきかと思います。

別荘を持つ金持ちだけが生き残る、との声が出そうですが、アイディアはあります。日本には空き家が想定で900万戸は超えているものと思われます。それらを緊急時に活用できる道筋つくり、政府と地方自治体によるデータ管理は大事でしょう。災害時の移動は困難を極めますが、自転車は有効です。余計なことかもしれませんが、災害時は道路に様々なモノが散乱するため、パンクしやすいはずです。その時のためのパンク修理セットや携帯空気入れは案外大事なツール。そしてエアマットがあれば空気入れで対応できます。

都市の代替機能という点では日本は地震大国でありながら首都機能を東京一極集中させ、代替首都機能の検討はほとんどなされていません。かつて首都移転という話があり、かなり真剣に議論され、国内でもいくつか候補が上がり、愛知岐阜や三重と共に最有力候補に栃木福島地区が挙がりました。那須、白河、郡山あたりが検討されていたと記憶しています。90年代です。これは完全に消え去りました。

今、一部の省庁の一部の機能は分散化しているところもありますが、役人が「都落ち」と嘆きます。意見調整がしにくいとか、政治家も忙しいので遠いと困るとか、要するに本来リスク管理をしなくてはいけない役人と政治家の腰が一番重いわけです。