黒坂岳央です。

昔から「空気を読むことは大事」と言われてきた。一昔前は空気を読めない人は「KY(空気読めない)」と揶揄され、コミュニティからの排除は恐るべきことと認識されてきた。

この空気を読むことや察する文化は、何も日本に限った話ではない。英語でread the roomというフレーズは「状況を察する」「空気を読む」に似たニュアンスを持つ。ビジネスのプロジェクトや会議に関与権がないのに無作法に介入する行為に対しHe is such a party crasher.などとたしなめるフレーズもある。文化の違いで他人への気遣いが異なる形で現れるのに過ぎないと考える。

確かに空気を読むべきタイミングは確実にある。しかし読みすぎたり察しすぎると人生の可能性を閉じてしまったり、周囲からはありきたりで傾聴の価値がない話をすると評されてしまうだろう。やり過ぎは禁物だが、繊細で気が利くよりも時に鈍感でパワフルに突き抜ける力の持ち主が成功するケースも少なくないと思っている。

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空気を読みすぎて挑戦できない

程度に場の雰囲気を察したり、空気を読むことは重要だがそれが過剰になると挑戦できなくなってしまう。空気を読むというのは、すなわち忖度するということであり、周囲や相手を意識して本音を言えないということである。

記事や動画を発信する立場になり、徐々に見てくれる人が増えてくると本音を出しづらくなるという事が起きる。影響力が強まるということは、賛成する声が大きくなるだけでなく、同時に反対意見やアンチの勢力も増すということを意味する。仕事では利害関係者を意識して言いたいことを引っ込めるようになる。深夜のテレビ番組がハチャメチャにやって人気が出て見る人が増えたところ、忖度が始まり内容がつまらなくなってかつての視聴者が離れるということが好例ではないだろうか。

仕事でもイチプレーヤーとして活躍していた人が部下を持ったり、取引先が増えるとリスクを取って挑戦することができなくなってしまうことが起きる。関係者の顔色を伺うようになって保守的になってしまうのだ。

しかしビジネスの世界においては、常に下りエレベーターに乗っているような状態であることを忘れてはいけない。そのため過剰に忖度したり、挑戦をやめたタイミングからひたすら後退し続け待っているのはジリ貧である。