黒坂岳央です。
昔、働いていた会社で言われた言葉で印象に残っているものがある。それが本稿タイトルの言葉である。現在は会社員ではなく、独立している立場だがこの言葉は今でも意識して日々仕事をするようにしている。
初めてこの言葉を聞いた時にはイマイチしっくり来なかった。手を動かすばかりでは仕事にならないだろうに、と。だが世の中には、実務家より評論家になりたがる人の方が圧倒的に多い事に気づいた。
思うところを取り上げたい。
※本稿で取り上げる評論家の定義だが、プロとしての評論家は含めない。プロとは、お金を稼ぐために商品サービスをレビューするブロガーやYouTuber、メディアに出て政治経済の解説者はお金をもらってやっている人たちである。プロとして価値提供する評論家と、誰でもなれる口先評論家とはまったく異なる点をご理解頂きたい。

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世の中はそこら中、評論家で溢れかえっている。
飲み屋に行くと酔っ払ったサラリーマンが会社経営や政治家を評論している。また、どこの会社でも会議室で出された新しい提案に対し、ひたすらダメ出しをする評論家がいるものだ。その反面、率先してアイデアや理想を形に変えるために実際に行動する実務家の数は驚くほど少ない。このように実務家を目指す人は極端に少なく、率先して評論家になりたがる人が多い。これはなぜだろうか?
まず、評論家はリスクを取らないで済む。経営者や政治家を飲みの席で批判しても、彼らは自分たちが「ダメな経営や政治を変えたい!」と手を上げて挑戦したいわけではないのだ。また、会議室で何でもダメ出しをする社員を何度も見てきたが、「ご意見ありがとう。ではぜひあなたにプロジェクトをリードしてもらいたい」などと返されたら、「いや私は意見を出すまで、自分の仕事がありますので」「いった者負けは勘弁してください」などとアッサリお断りしてしまうのだ。