死に向かう人間としてやるべきは、次代への遺産を残すことです。それは例えば、偉人がつくり上げた人物史あるいは偉大な労働を礎とした国家、といった類に限った事柄ではありません。その遺産とは、いつ何時消滅するやも分からぬ物的なものでなく「志念の共有」ということであり、世に何らか意味ある足跡を残して行くということです。自分がしっかりとした人生修養をして行く中で学び得たものを次代に引き継げるようになれば、それだけでも良いでしょう。司馬遼太郎の『峠』という小説の中に、「志ほど、世に溶けやすく壊れやすく砕けやすいものはない」とありますが、だからこそ世のため人のため一度志を定めたならば、それを生涯貫き通すと決死の覚悟をし、永生を遂げるのです。
人間は儚く何時死ぬか分からぬものであり、人生は二度ない、という真理を先ずは肝に銘じることです。そして自分の生まれてきた意義を生ある間にきちっと残して行くべく、我々は死するその時まで自分の生き方を真剣に考え続けねばならず、それが思想を生み哲学を生むわけで、何も「死に方を学ぶこと」ではないでしょう。先述の釈迦であれ孔子であれ、その精神的な力は今尚生き永らえ、後に続く人々に生の指針を与え続けています。それが哲学であり思想であって、世のため人のためのものでなくてはならないと思います。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年8月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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