恐怖は進化の早い段階で生まれた感情で、すべての脊椎動物にそなわっている。敵から逃げることは生存にとってもっとも重要な行動なので、恐怖は他のすべての感情に優先して起動するのだ。

未知の動物が近寄ってきたとき「これは敵か味方か」と合理的な遅い思考で推論していると捕食されるので、瞬時に逃げる速い思考が作動する。これは生存にとって必要な衝動なので、すべての人が「古い脳」で遺伝的に身につけている。

こういう恐怖は動物的な衝動なので、大脳皮質などの「新しい脳」で論理的に説得することはできない。「科学が風評に負けるのは国辱だ」というのは豊洲問題のときの石原慎太郎氏の名言だが、科学的に証明できない安心を求めると際限がなくなる。

処理水の安全性は自明だが、マスコミが危険だという風評を流布すると魚が売れなくなり、風評被害は自己実現する。それをマスコミは「行政の説明が必要だ」というが、話は逆である。マスコミが黙ればいいのだ。

些細な問題を大問題にした「無責任体制」

福島の最大の失敗は、ゼロリスク脳を民主党政権が政治利用し、際限なく安心を追求して非現実的な安全基準を設定し、莫大なコストをかけて除染を行ない、法的根拠なくすべての原発を停止したことだ。こうした政府の行動によって人々の不安が正当化され、古い脳に刷り込まれてしまった。

原子力規制委員会の田中俊一委員長は、2017年に東電の川村会長が海洋放出を示唆したとき、「はらわたが煮えくり返る」と発言して、処理を混乱させた。彼が今ごろ「薄めて流すしかない」というのは無責任である。

安倍政権も、原子力については何もしなかった。止まった原発を再稼動もせず、福島には凍土壁という役に立たない設備をつくり、風評被害が世界に拡大するのを見ているだけだった。マスコミも最近は「汚染水」といわなくなったが、漁民の「お気持ち」を大事にしろという。

この10年の結論は、感情的な安心を求めると政治的決定は永遠にできないということである。大衆の不安を政治的に利用する反社会的勢力は、つねに騒ぎを蒸し返す。コンセンサスを求める努力は必要だが、全員一致は不可能なのだから、早い時期に内閣が海洋放出を決定すべきだった。その拒否権は漁協にはない。

こんな科学的には些細な問題に10年の時間をかけ、最初からわかっていた結論を実行するだけに800億円のコストをかけた今回の騒ぎは、日本のデモクラシーの根本的な欠陥を示している。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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