黒坂岳央です。

「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉がある。勝つと気持ちいいが、負けると悔しい。これは誰もが持っている感覚である。

社会人になり立場が違えど、資本主義ゲームの参加者になると痛感するのが「負けるが勝ち」の重要性だ。だが、言うのは簡単だが実践することは至難の業である。実際、これができる人は本当に少数派なのだ。

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投資で負けを認めない恐ろしさ

なぜ、負けるが勝ちなのか?それは勝ちにこだわりすぎると泥沼になるからだ。

たとえば投資の世界では「損切り」という技術がある。含み損を抱えている状態で、これ以上損失を拡大させないために素早く損失を確定してしまうというものだ。上がると思って買いを入れるも、想定外に下がってしまうということはマーケットから「負け」を突きつけられたようなものだ。つまり、損切りはある種、負けを認めて仕切り直しをするようなものなのである。

正直、損切りは投資をする上で最も重要なスキルといっても過言ではない「命綱」と同義である。しかし、もっともやりがちな過ちがズルズルと損失が拡大するのを目の当たりにしながら「待っていればいつかは含み益になるから」と指を加えて塩漬けになってしまうというパターンだ。負けて終わることを受け入れられず、勝ちにこだわることで陥る事例である。

アンチ対応は「完全無視」一択

また、記事なり動画なりを出すと誰しもアンチと対面する。自分もよく彼らからコメントをもらう。建設的意見をくれたり、明確な過ちに対する指摘にはもちろん真摯に対応するが、相手にしてもどうしようもない人は絶対に反応してはいけないのだ。

自分は駆け出しの頃、アンチに対峙するたびご丁寧にも毎回対応していた。だが、しばらくして気づいた。対応するだけ時間のムダだと。ほとんどの場合、自分の正義を通して議論に勝つことが第一義的な目的で、冷静な建設的意見交換という姿勢の持ち主はほぼいない。こちらも熱くなって応酬するとシンプルに時間と労力を失う。よしんば、議論に打ち勝ったとしても、メリットは何一つなく、周囲からは血の気が多いと思われるだけでトータルでは大敗北である。

「反応できないのは痛いところを突かれているからだ」「負けを認めますか?」など相手から挑発されても、争いの舞台に絶対に乗らないことが肝要である。相手の心の中でいくらでも負け認定させておけばいい。争いに乗ってしまうことが一番の負けなのである。つまり、短期的に負けることが長期での勝ちなのである。

アンチ対応の鉄則は「完全無視」一択である。