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政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷 昌敏
レッセフェール(laissez-faire)とは、フランス語で「なすに任せよ」という意味で、経済学では「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す概念である。
この考え方は、18世紀に重商主義に反対する重農主義者によって提唱され、古典派経済学の祖であるアダム・スミス(Adam Smith)によって体系化された。スミスは、自由競争によって「見えざる手」が働き、最大の繁栄がもたらされると主張した。
19世紀後半に入るとレッセフェールは、産業革命や資本主義の発展に伴う社会問題や経済危機に対処できないことが明らかとなった。労働者の搾取や貧困、環境破壊や公害、不況や失業などの問題は、市場の自由放任では解決できず、むしろ悪化させるとされた。
そこで、政府の介入や規制を必要とする新しい経済思想や政策、例えば、マルクス主義や社会主義、福祉国家や計画経済などの概念が誕生した。例えば、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)は、1929年の世界恐慌に対して、「市場の自己調整力が失われ、資本主義経済が崩壊する危機に直面している。この危機を克服するためには、政府の積極的な財政政策や金融政策が必要だ」として、いわゆるケインズ経済学を提唱し、レッセフェールを批判した。
第二次世界大戦後、オイルショックやスタグフレーションなどの問題に対処するために、米国のレーガン大統領、英国のサッチャー首相らは、規制緩和や自由貿易、小さな政府などを推進し、市場原理主義や新自由主義と呼ばれる思想が流行した。しかし、この政策もまた、格差や貧困、環境問題などを深刻化させることが指摘されている。
戦後の日本に繁栄をもたらした経済政策一方、戦後の日本の経済政策については、1945年の敗戦後、日本は連合国軍占領下に置かれ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導の下、経済民主化政策が進められた。財閥は解体されて独占禁止法が施行され、農地改革により小作農は自作農となり、教育方針が改革されて、労働組合設立が推奨された。
経済政策では、傾斜生産方式(基幹産業である鉄鋼、石炭に資材・資金を重点的に投入し、それを契機に産業全体の拡大を図る)の採用やドッジ・ライン(経済安定九原則)などが提唱された。ドッジ・ラインは、予算の均衡、徴税の改善、融資の制限、賃金の安定化、物価統制の強化、為替の管理(1ドル=360円の単一為替相場の設定)、輸出産業のための資材の割り当て、重要国産品・工業製品の生産を増やす、食糧集荷などから成る統制経済政策である。
その後の高度経済成長期には、輸出産業を重視する政策が取られ、高い教育水準を背景に金の卵と呼ばれた良質で安い労働力、戦前から官民一体となって発達した技術力、余剰農業労働力や炭鉱離職者の活用、高い貯蓄率(投資の源泉)、輸出に有利な円安相場(固定相場制1ドル=360円)、消費意欲の拡大、安価な石油、安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式、管理されたケインズ経済政策としての所得倍増計画、政府の設備投資促進策による工業用地などが挙げられる。
中曽根政権時代(1980年代)に至ると、新自由主義政策が積極的に取り入れられ、電電公社や国鉄の民営化等による行政改革が実行された。この新自由主義政策とは、市場(経済活動)への国家の介入を最小限にするべきと考える思想で、小さな政府、民営化、規制緩和といった政策を目指す経済思想だ。