畏れて敬う心情のことを神仏の世界で「畏敬の念」と言います。
この「畏敬の念」はもともと神仏に対して使用する言葉です。
ただ、昨今は人間や自然にも使用される言葉となっています。
今回はそんな「畏敬の念」という言葉について解説します。
「尊敬」や「畏怖」とはどのような感情の違いがあるのかも説明するので、ぜひ参考にしてみてください。
「畏敬の念」とは

まずは「畏敬の念」という言葉の意味を見ていきましょう。
「畏敬の念」の意味
「畏敬の念」とは畏れて敬う心情のことを意味します。
「畏れる」は慎みを持って畏怖する心情のことです。
「敬う」は礼を尽くして尊敬する心情のことです。
「念」は常に心の中を往来している思いのことを言います。
つまり、両方の心情を持ち合わせた思いのことを「畏敬の念」と呼ぶわけです。
ただ「畏敬の念」と「畏怖」「尊敬」は微妙に違います。
その点には使用の際に注意が必要となってくるでしょう。
また、本来「畏敬の念」は神仏に対して使用する言葉となります。
そのため、人間に対してはあまり使用されない表現と覚えておきたいです。
昨今では人間に対して使用される例や動植物など自然に対して使用される例もあるものの、その対象は神仏が基本です。
現代では使用される対象が幅広くなったものの、使用する際には注意が必要となるでしょう。
「畏敬の念」は抱くものであり、堪えなくなるもの
「畏敬の念」は日常生活でも使用される言葉となりました。
ただ、基本的に「畏敬の念」は抱くものであり、堪えないものでもあります。
実際に「畏敬の念を抱く」「畏敬の念に堪えない」のように使用するのが特徴です。
例文としては「八百万の神々に畏敬の念を抱く」「悠々たる自然は畏敬の念に堪えない」などがあります。
そのため「畏敬の念」は主に畏れる気持ちや敬う気持ちの表現として使用されると覚えておきましょう。
「尊敬」や「畏怖」との違い

次に「畏敬の念」と「尊敬」「畏怖」の違いを見てみましょう。
「尊敬」とは対象が異なる
「畏敬の念」と「尊敬」は似ているものの対象が異なります。
主に「畏敬の念」は神仏が対象となります。
逆に「尊敬」は人間などが対象です。
もちろん「畏敬の念」も人間だけでなく動植物にも使用します。
しかし、本来は身近なものにはあまり使用されません。
そこは「尊敬」と対象が異なると覚えておきましょう。
「畏怖」とは感情が異なる
「畏敬の念」と「畏怖」も似ているものの感情が異なります。
主に「畏敬の念」には敬う気持ちが含まれているのが特徴です。
対して「畏怖」には怖がる気持ちが含まれているとされます。
両者はどのような感情が発生しているかによって違うと覚えておきたいです。