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トヨエースで食えなくなって軽自動車メーカーへ転身
フラットツインの軽4輪商用車「コニー」を売るも日産傘下へ

トヨエースで食えなくなって軽自動車メーカーへ転身

時代の移ろいと共に消えた「コニー」とは?航空から軽自動車へ、愛知機械工業の個性派軽トラ【推し車】
(画像=オート3輪から軽4輪への過渡期に販売した軽オート三輪、AA27型「ヂャイアント・コニー」、『MOBY』より引用)

しかし多くのオート三輪メーカーがそうだったように、トヨタから安い四輪小型トラック、トヨペット・ライトトラックSKB(後のトヨエース)が1954年に発売されると、小回りは効くものの走行安定性や居住性で劣るオート三輪はアッという間に斜陽産業へ。

それで愛知航空機改め「愛知機械工業」も1950年代半ばから右肩下がりで業績が悪化していきますが、今さら4輪トラックを作るにしても、トヨタや戦前からの老舗ダットサン(日産)へ対抗するには企業規模が小さすぎ、開発力や販売力でとても叶いません。

そこでさらに軽自動車メーカーへ転身、まずはつなぎで軽三輪トラックAA27型「チャイアント・コニー」を開発、戦前からの「ヂャイアント」ブランドから、公募した新ブランド名「コニー」へと転換する流れも進めました。

1959年に発売したAA27は、ちゃんとドアもあるフルキャビン、丸ハンドルと先進的な設計で、同時期のライバル、ダイハツ ミゼットMPシリーズやマツダ K360、三菱 レオがいずれも丸目2灯ヘッドライトなのに対し丸目1灯で、「一つ目小僧」とも呼ばれたそうです。

フラットツインの軽4輪商用車「コニー」を売るも日産傘下へ

時代の移ろいと共に消えた「コニー」とは?航空から軽自動車へ、愛知機械工業の個性派軽トラ【推し車】
(画像=愛知機械工業が独自に開発・販売した車種としては最後になった、コニーワイド トラック後期型(撮影:兵藤 忠彦)、『MOBY』より引用)

しかし軽オート三輪のAA27はあくまで過渡期の存在。

本命は同じ1959年に発売された、軽4輪商用トラックのAF3型「ヂャイアント・コニー360」で、短いボンネットを持つものの強制空冷2気筒OHVエンジンを座席下に搭載するという、オート三輪をそのまま四輪化したような軽トラック。

続けてリアエンジンの軽商用バンであるAF6型「コニーコーチ」(1962年)、超小型ピックアップトラックAF8型「コニー・グッピー」(1961年)、AF3型の正常進化版AF7型「コニー360」(1962年)で、軽商用車メーカーの中堅どころへ収まります。

もちろん、同時期のマツダやダイハツ、三菱のように軽4輪乗用車へ進出したいという願いもあり、試作車を作っては自動車ショーへも積極的に出展しますが、結局実現しておらず、コニー360の小型車版コニー600も短期間のみの販売。

もともと販売力の弱さで小型トラック市場から叩き出されたのに、軽自動車でも古株のマツダやダイハツに負けるのが目に見えていて、メインバンクからうまく融資が受けられないどころか、大メーカーの傘下企業となる以外に生き残る道はない、と諭されたようです。

それで1965年には事実上日産の傘下入り、独自車種も同年発売したフルキャブオーバー型で荷室/荷台が広い軽商用車AF11型「コニーワイド」が最後で、トヨタ傘下入りしたダイハツのようにいつかは復活を…と続けた軽乗用車の試作も、販売に結びつきませんでした。

販売店は「日産コニー店」と名を変え、独自車種の販売が終了した1970年には「日産チェリー店」と改名し、コニーの名は自動車業界から消え去ってしまいます。

強制空冷フラットツイン(水平対向2気筒)エンジンをミッドシップかリアに積む低重心設計は個性的でしたが、いずれ1970年代に環境対策で行き詰まったであろうことを考えれば、独立を放棄して正解だったかもしれません。

なお、その後の愛知機械工業は「サニートラック」や「バネット」など日産車の委託生産を経て、現在はトランスミッションなど日産系の部品メーカーとなっています。

それでも「かつての自動車メーカー」の名残は、社内有志による復元(レストア)クラブの活動として公開されていて興味深く、皆さんも興味があればぜひ、覗いてみてください。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

文・兵藤 忠彦/提供元・MOBY

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