黒坂岳央です。
努力は必ず良い結果をもたらすとは限らない。しかし、良い結果は努力なしでは絶対に得ることができないだろう。つまるところ、多くの活動はやってみないと最後まで分からないということである。
しかし、個人的にやる前から結果がわかりきっている「やるだけムダな努力」は存在すると思っている。結論から言うと、「時代の変化を拒むこと」だと考える。
これは多くの人が陥っており、なおかつ本人はそんな努力をしてしまっているという感覚はなかったりするので厄介なものだ。根拠を取り上げたい。

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「現状維持は後退」という言葉がある。すなわち、「時代の変化を拒絶し、後退を受け入れる」ということなのだが、個人的肌感覚で言えば中高年以降の人たちでこれをやるケースを見ることが多いと感じる。
筆者が知る70代の経営者がいるのだが、彼の会社は30年以上経営をしてきてここ10年間の業績はずっと右肩下がりだ。原因は誰が見ても明らかで新規顧客獲得ができていないということである。それもそのはず、この時代で受注は電話とFAX、マーケティングはダイレクトメールのみだ。ホームページも何もなく、これではインターネットユーザーに商品の存在を知ってもらうことができないので新規顧客獲得は不可能に近い。
周囲は「時代の流れ、ネットで売ることを考えは?」とアドバイスをするのだが、「イチからインターネットを学ぶ時間の余裕がない」とか「インターネットは詐欺が多いと聞くので不安」といってやらない。社の延命のために帝国データバンクから有料で企業情報を購入し、そこへダイレクトメールを郵送するも費用対効果はないようだ。正直、第3者から見てこの努力はムダに終わると感じる。
また、保護者同士の集まりの場で企画を相談し合う時に「子供の数も減ってきているし、もうこの施策をする人の余裕がないので変えませんか?」という声があがることがある。その場では「確かにそうだ」と他の保護者も同調するが、最後は「でも」と声が入り始め、継続する必要性のこじつけが入って、「人数が少ない分は子供にも手伝わせて継続しましょう」となる。
いよいよ持続不可能なレベルに子供の数が減った時は一体どうするつもりなのか?このような延命努力はムダに思えてならない。最初から持続不可能なことなのだから。
国家がこれをやることもある。受益者の恨みを買うのは面倒なのでここに具体的には書かないが、世の中にはおかしな法案でいっぱいだ。すでに意味をなしていないものや、持続が難しいものも無理に税金を投入して支えている現状がある。いつか無理が来て、これまでの努力がすべて無駄になる日が来ることがわかりきっているというのに。
悲しきかな、変化を取り入れたい勢力より、現状維持したい勢力があまりに力を持ちすぎている。