歴史的な人物像ではさまざまな権力者や英傑、あるいは才子佳人などが表現されているが、どういうわけか痩せ衰え飢餓に苦しむ人物を彫った謎の人物像が存在する。見る者をいたたまれない気持ちにさせる「サッカラの飢餓像」をどう理解すればよいのか――。

「サッカラの飢餓像」のミステリー

 異様なまでにやせ細った人物の彫像は芸術作品なのか、それとも何らかのメッセージを後世に伝えるモニュメントなのか――。

 古代エジプトで作られたとされる「サッカラの飢餓像(The Starving of Saqqara)」は、その起源と来歴については謎に包まれており、作品としての信頼性についても議論の余地が残されている。

 サッカラの飢餓像は高さ67センチ、重さ約80キロの石灰岩の彫刻であり、一対の裸の座像が表現されている。人物の一人は男性で、もう一人は子供を抱いた女性であると考えられており、細長い頭とやせ細った長い手足が特徴的である。

古代エジプトで発掘された「サッカラの飢餓像」のミステリー! 歴史を逸脱した“オーパーツ”か!?
画像は「YouTube」より(画像=『TOCANA』より 引用)

 彫像の表面に残された顔料の痕跡は、かつてはペイントされていたことを示唆している。像の台座にはいくつかの古代の碑文が刻まれているのだが、その言語はまだ特定されていない。サッカラの飢餓像は現在、カナダ・モントリオールのコンコルディア大学が所蔵している。

 サッカラの飢餓像は1950年代以前の時期に、古代エジプト、ギリシャ、ローマの古美術品の熱心なコレクターだったヴィンセントとオルガ・ディニアコプロス夫妻の所有物となった。ディニアコプロス夫妻がこの像をどこでどのように入手したのかは不明であることに加えて、その名前にもかかわらず、この像と古代エジプトの首都メンフィス郊外の広大な墓地であるサッカラとの関係もまた不明だ。

 ディニアコプロス夫妻はフランスからカナダ・モントリオールに移住し、サッカラの飢餓像もまたカナダに持ち込まれることになった。1950年代には夫妻の家族経営のギャラリー「アルスクラシカ」に展示されていたのだが、1967年にヴィンセント・ディニアコプロスが亡くなった後、サッカラの飢餓像を含むコレクションの多くは家族によって梱包され、自宅の地下室に数十年間にわたって保管されていた。

 1999年、オルガ・ディニアコプロスは息子、デニスがコンコルディア大学の教員を務めていたこともあってか、同大学に家族の骨董品コレクションの管理を要請した。

 管理業務を担当したクラレンス・エプスタイン氏はコレクションを研究する一方で、サッカラの飢餓像を同大学内で再び一般に公開することになった。

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画像は「YouTube」より(画像=『TOCANA』より 引用)