人生一度落ちてしまったらば徹底した反省をし、自分を変えようと心底思って行かなければ駄目でしょう。兎に角それは、世のため人のため生きて行くというふうに人間が変わらねばならないということです。先述の善因を一言で言えば、此の「世のため人のため」であろうと思います。

自分を変えることは簡単ではありませんが、出来ないことではありません。唯そこにはやはり、それなりの努力が求められます。『淮南子』に「行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す」とあるように、「化す」というのも人間としての在るべき姿です。人物を高める努力を終生惜しまねば、人間常に変身し変わり得るものなのです。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年8月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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