人間の成長という定義はなかなか難しく、成長することが「正」であり、しないことが「誤」である、という単純なストーリーには収まりません。先日、「若者が持ち家できる日は来るのか?」という題目で「低所得者住宅がはびこれば人間が本来持つべく『成長』する必要がないので『惰性の人生』になりかねない危惧がある」と申し上げました。

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あくまでも危惧なので必ずしもそうなるとは申し上げていませんが、惰性の人生になりやすいことは事実です。例えば私が開発した住宅プロジェクトの一つに111戸の低所得者住宅があります。過去17年、その住民が「成長」してそこから普通の住宅に移ったという話はほぼ聞きません。同様に道路を隔てたところにも大きな低所得者住宅がありますが、そこも同様の感じで住民は変わっているようにはみえません。理由の想像はつきます。「わざわざ高い賃料のところになぜ移る?」という既得権の確保です。
では賃料が安い分、なにか、自己を磨いたり社会奉仕をするか、といえば初めはそれなりに「頑張ろう」というムードもあったのですが、5,6年経ったらすっかりなくなりました。この理由も思い浮かびます。「面倒くさい」のであり歳も重ね、「億劫」になるのです。我々は「いつかは補助住宅から自立できるように頑張ろう」と思う人への支援は良いことであると考えていますが、実際にはなかなかそうなりにくい、それが現実です。
故に同ブログの後半に「一定の住環境さえあれば変わることを望まず、成長無きフラットな生活をされる傾向が強まったと推測しています」と述べたのは成長を強制しても仕方がない、という意味でもあります。
一方、主に若い人向けに能力開発のプログラム、セミナー、自己啓発系の図書などが沢山あります。基本的にどれも「自分の殻を破ろう」なのです。日本の方に自分の殻を破るというテーマは思った以上に難しい課題だと思います。お勤めになっている方は会社のルール、マニュアル、コンプライアンス、上司の指示などでがんじがらめで目先の仕事にただ追われるだけで自分の殻どころか会社の殻から飛び出すのはタブーなのです。