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本稿では、官庁の「薪ストーブ」対応について記録しておきたい。前稿で予告した内容は今後予定している。

(前回:薪ストーブ問題が葉山町議会で提起されたその後)

神奈川県庁・環境省に送付した質問とその回答

筆者は実は2016年春から継続的に関係諸官庁に質問や意見を送付し、必ず回答を要求している。

これらのうちの一部を今後のため、記録を兼ね要旨抜粋し掲載しておきたいと思う。

国策で(就中、農林水産省が業界団体と連携し)薪ストーブや木材燃焼を扇動推進しておきながら、そこから発する大気汚染の害については一切関知せず調査する気も無く、

「知らぬ存ぜぬ対応しない。(業界団体が都合よく監修した)冊子を読むように推奨している」で終わりである。責任逃れ、たらい回し、結果論として何もする気がない、という回答要旨である。

欧米諸国であまりの健康被害増加によって「薪ストーブ禁止」まで施行される程になりつつある、木材燃焼煤煙による健康への害については、各回答中には全く触れられていないという不勉強かつ体たらくである。

特に環境省はあまりにも無責任では無いだろうか。

現状、薪ストーブ被害者は事実上「無視され見捨てられ見殺し状態」であることを官庁側は暗黙の裡に示している。

何れにしても、各被害者は社会や官庁に対し、この問題を訴え言い続けることは必要と筆者は思う。沈黙は容認である。

苦しむのであれば、常に声を上げ続けることは必要であり、この際には被害状況を測定により数値化・可視化した論拠を示すことは極めて有効である。

なお、筆者は官庁からの各回答に対して本稿上で注釈は付けない。読者各位で判断頂きたい。

神奈川県庁への問い合わせ

【神奈川県庁への送信内容】

日時 : 2016年4月*日 1 件名: 薪ストーブの迷惑な排煙煤塵問題

2 内容 CO2削減の一策として経済産業省や環境省などで推奨されている?薪ストーブは直接的には悪臭排煙煤塵を発生させる不完全燃焼行為でもあり、結果としての近隣への迷惑という現象をみれば野焼きと何ら変わるところはありません。

薪ストーブユーザーが周囲の迷惑を考慮せずイメージ先行で設置し、「エコである」「環境負荷が無い」との錦の御旗をふりかざし、近隣に著しい迷惑を掛けているケースが多々、というのが実態です。個人的な趣味で行っているのであれば尚更迷惑この上ないものです。

薪ストーブ、屋内燃焼炉の排ガス環境基準などが国や自治体の立法でも規定されておらず、行政が炭素中立と推奨しつつも現実には近隣住民よりの悪臭排煙煤塵に対する苦情に対処できず野放しという片手落ち不手際で泣き寝入り、被害者たちがひたすら我慢、負担を強いられる理不尽、火災の危険も否定できません。 近隣住民はそんな不快感と恐怖に陥れられるというのが実態です。

欧米では薪ストーブ、暖炉類の排煙が問題視された結果、排ガス規制や、それ自体の条件付き使用制限、市街地・住宅地での使用禁止といった施策がなされているケースが増加しているのは、欧米にあっては上記のトラブルや弊害がきちんと認識されていることに由来します。

住宅地での薪ストーブは使用禁止もしくは厳しい排ガス規制、使用機材の性能による臭気除去・防塵・消煙機能を義務付ける、それを既設置のものまで遡及効させ、周辺の住環境を悪化させない施策が必要です。

一年の約半分を、煤塵舞うこの焦げ臭い中で生活しないといけないというのは、何にも換え難い苦痛でしかありません。住宅地に、近隣に排煙をまき散らすものが野放しにされ、それが1軒また1軒といつのまにか増殖して地域まごると燻製にされるという状態が良い訳はありません。「ウチはエコなことをしているのだから周囲はみんな我慢しなさい」という自分勝手な理論、思考回路は間違っています。

日本全国各地で発生している、薪ストーブに対する苦情と、それに苦慮する周辺住民や行政の無策。これは放置してはいけないと思います。

また、建築基準により、新築住宅は24時間換気システムの設置が義務化されていますが、周辺の煙までも屋内に吸い込んでしまい、逃げ場すら無くなります。

遡及しての規制は、かつて、東京都が、古く排ガスの汚いディーゼルエンジン車の都内乗入運行を禁止したように、決して不可能ではなはいずです。

日本の各地域で増えつつある、大きなトラブルになる可能性も内包する、このような住宅地における薪ストーブ等の公害問題。

短期的には、薪ストーブユーザーの感情的な反発を買うことになるでしょうけれど、冷静に考えれば、きちんと規制を行い環境浄化ができることが、中長期的にはユーザーもそうでない住民にとっても大きな利益になると思います。

地球に対してエコなのと、燃焼の結果発生するガスの人体への有害度(迷惑度)は、別の問題です。「地球に対してエコだから、異臭を我慢せよ」という論理は成り立ちません。