その結末が「トイレット・ペーパー騒ぎ」で、店頭から消えてしまった時期もありました。それを新聞、テレビが報道するものですから、さらに買い急ぎが進む。それに気づいて、どこかの段階からそうした報道に自粛を始めたはずです。報道の公共的責任にのとった報道自粛です。

新聞用紙も大幅に値上がりしたうえ、製紙メーカーが売り惜しみもしていました。売り惜しみをしていれば、物資が不足してさらに値上がりする。政府は売り惜しみ・買い占め防止法を後に制定しました。

その後、当時の社長が記者クラブに直接、電話をかけてきて、「用紙メーカーが供給を減らしている。通産省の担当部局と掛け合い、ちゃんと供給するように頼んでほしい」という一幕もありました。新聞社の社長が記者クラブの一記者に電話をしてくるなんて前代未聞です。今でしたら「新聞社の社長が通産省に圧力、特別扱いを要請」という記事が週刊誌に載っていたかもしれません。まあ、新聞社1社の話ではなく、全国どこでも全産業においてそんな状況だったのでしょう。

昭和48年12月 トイレットペーパー売り場の様子 静岡県富士市役所HPより

50年前の賃上げ率は30%

翌年でしたか、私は日銀記者クラブ(金融記者クラブ)に異動していました。当時の佐々木直総裁が「海外の会議で、日本は狂乱物価状態。賃金は『サーティー(30)%上がった」と発言したら「『サーティーン(13)%の間違いではないのか」と問われたので、「いやサーティー(30)%だ」と語ったそうです。そのことを今でも記憶しています。

この10年、日銀は「消費者物価上昇率2%」を目標に掲げ、「適正インフレと賃上げの好循環が景気をよくする」と連呼しています。当時の賃上げ率は現在の10倍です。

8月8日に厚労省が発表した統計では、「一人当たり名目賃金は前年比2.3%増で、物価上昇分を差し引くと、実質1.6%の減少」となっております。オイルショック当時のインフレはまさに狂乱状態で、当時の首相だか通産省次官が「日本経済は全治3年の重症」と発言していました。

2度にわたるオイルショックを乗り切るために、必死にエネルギー効率の改善を目指し、原子力発電の推進がエネルギー供給の基幹的な役割を担う時代に向っていきました。

(つづく)

オイルショック50年、揺れた原発政策に対する一記者の回想(上)はこちら

編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

【関連記事】
「お金くばりおじさん」を批判する「何もしないおじさん」
大人の発達障害検査をしに行った時の話
反原発国はオーストリアに続け?
SNSが「凶器」となった歴史:『炎上するバカさせるバカ』
強迫的に縁起をかついではいませんか?