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タイタニック・メモリアルパーク
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タイタニック・メモリアルパーク

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

ネフィン山を下山して、麓のLahardane村に戻ってくると、メインロードの目立つところにタイタニックの犠牲者や遺族を弔うタイタニック・メモリアルパークがあります。入口から見た感じは普通の公園なのですが、中に一度を足を踏み入れると何か普通ではない不思議な感じがする公園です。

私は旅をするときにはなるべくその場所について下調べをしないようにしています。場所にもよりますが、その方がより直観的にその場所が伝えたがっているメッセージや違和感などを感じ取ることができるからです。

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

まず、目に入ってくるのが、タイタニック号に乗ったであろう村人の姿を生きいきと描写した銅像です。日本には、犠牲者をこのように動きのある姿で表現する銅像は滅多にないので、これには驚きました。その先にある黄金のタイタニック号の船首に向って1本の小道が続いており、船首に向って人々が歩いていく様子が簡単に想像できるような構図になっています。

私は、この人々の銅像とタイタニック号の船首をつなぐ導線に何か特別に訴えるものを感じて、迂回せずにはいられませんでした。この構図はまるで、その間の空間に簡単に足を踏み入れてはいけないような、尊いものを感じさせます。

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

タイタニック号の船首を模したモニュメントには、ちゃんとTaitanicの文字が刻まれています。タイタニック号は、この時代を生きた人々にとってとても豪華で夢のような船だったことでしょう。モニュメントからもワクワク感が伝わってきます。

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

タイタニック号沈没の惨事が彫刻と文章で伝えられています。ここまでは、多くの人達がすでに知っている情報かと思います。

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

およそ14名もの人達が、この村からタイタニック号に乗り沈没事故に遭遇してしまいました。おそらくこの数は、1つの村から被害者をだした数としては世界で一番多かったと言われています。なぜ、こんなにも多くの人達が1つの村からアメリカに渡ろうとしたのか、そんな違和感の理由はあとになって分かりました。

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

14名のうち生き残ったのは、たったの3名だけでした。亡くなった方たちの年齢を見ると、ほとんどが20代から40代の若者でした。助かったのは全員女性で、3人とも若く子どももいました。子どもや女性を優先的にライフボートに乗せたというシーンが映画の中で印象的でしたが、本当だったのかもしれません。

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

事故が起きた1912年当時のアイルランドの民家にあったキッチンや石づくりの家の門などが同じ敷地内に設置されており、最初はただ当時の雰囲気を出すために造られたものだと思っていました。

しかし、ただ雰囲気を出すためのものとしては、造りが大がかりで変な感じがしました。家に帰ってきて何度も撮影した写真を見ているうちに、これら全てのものは、タイタニック号の被害者の魂がいつここに帰ってきても寂しい思いをしないように造られたのではないだろうか、そんな気がしてきたんです。

アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
(画像=『たびこふれ』より引用)

私の考えすぎかもしれないと思っていましたが、写真を整理するうちに1枚のテキストの写真が見つかりました。このテキストは、タイタニック・メモリアルパークの敷地内に設置されていた石づくりのキッチンの脇に展示されていたものです。

テキストを読んでみると、大飢餓によりそれ以降数十年に渡って多くの人がより良い生活を求めてアメリカやイギリスに移住せざるを得なかったこと、そしてタイタニック号に乗ったこの村の14名もそのような理由で大切な両親や家族を置いてアメリカに渡った人達であったかもしれないようなことが書かれてありました。

亡くなった方たちのほとんどが若者であったことから、アイルランドに残されたであろう遺族の悲しみが伝わってきます。

これらキッチンや門構えのモニュメントは、すべて当時実際に使われていたものを別の場所から移動させたもので、その意図はやはり、彼らがいつ戻ってきてもウェルカムできるようにという理由であったこともテキストに書かれてありました。

アクセス

Nephin car park

  • 住所:Unnamed Road, Co. Mayo

Addergoole Titanic Society (メモリアルパーク)

  • 住所:Lahardane Garda Station, Lahardane, Ballina, Co. Mayo
  • 電話:09651045