オーストリアで現在、誰がノーマル(普通、正常)かで論争が湧いている。国民が熱中症で突然、哲学的になったわけではない。同国ニーダーエスターライヒ州のミクル=ライトナー知事が先月、「私はノーマルな国民の為の政治をしていきたい」という趣旨の発言をしたのが契機となって、「それでは誰がノーマルではないのか」といった議論が生まれてきたわけだ。

オーストリアでは2021年5月19日から多くの営業活動は「ノーマル」Dilok Klaisataporn/iStock

まず、少し説明する必要があるだろう。なぜ「ノーマル」といった言葉がそんなに問題となるのかについてだ。その際、どうしても同国の暗い歴史を振り返らざるを得なくなる。オーストリアはアドルフ・ヒトラーが生まれた国であり、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺を想起しなければならない。ヒトラーはアーリア人優生思想の信望者であり、アーリア人種以外は「ノーマル」(正常)ではない、といった考えの持ち主だったことはよく知られている。だから、オーストリアで「ノーマル」という言葉を使用すれば、どうしても当時の時代が重なってくるわけだ。

「ノーマル」という言葉を使ったミクル=ライトナー州知事に最初に苦情を述べたのが「緑の党」のコグラー党首(副首相)だ。コグラー党首は、「そのような言葉を使用する者はファシストの前段階の人間だ」と批判したのだ。同党首は障害のある娘さん(養子)がいることもあって「ノーマル」という言葉の意味にことさら敏感に感じたのではないか。メディアでも突然、「何がノーマルか、そうではないのか」といった哲学論争で騒がしくなってきたのだ。

第77回ブレゲンツ音楽祭でヴァン・デア・ベレン大統領は7月19日の開幕式で、「一部の政治家は恣意的に国民を分裂させるような言葉を使用している。言葉を差別に使用してはならない」と、国内のノーマル論争に一石を投じたのだ。同席していたネハンマー首相(国民党)は「緑の党」出身の大統領の批判を受け、「わが国で現在、ノーマルという言葉について議論が湧いているが、『ノーマル』という言葉を禁句のように主張する意見には同意できない。私は今後もノーマルな人間の一人として生きていく」と述べ、大統領の批判に反論した。