もちろん現代アフリカに蔓延する諸問題に、植民地の歴史が深く関わっていることは間違いない。西アフリカの仏語圏諸国の諸問題に、フランスの外交・援助政策が相当程度の責任を負っていることも確かだろう。サヘルの混乱の直接的な契機となったリビアにおける「アラブの春」の政変が、NATOの軍事介入によってかえっていっそう歪なものになったことも否定できない。しかし、だからといって、民主的選挙で選出された政治指導者を、軍人がクーデタで除去する行為が「欧米の植民地主義との戦い」のスローガンで正当化される、と主張するのは、どう考えても論理の飛躍だ。

現代のサヘルにおける治安状況の悪化は、アル・カイダ系勢力とイスラム国系勢力が入り乱れて行っているテロ活動によって引き起こされている。フランスをはじめとする欧米諸国や国際機関は、こうしたテロ活動を撲滅するために、アフリカ諸国政府と協力してきた。その努力に限界があった。問題ある行動が見られた場面も多々あった。態度や政策に改善の余地があると思われる事柄もたくさんあった。だがそれにしても、それらの問題が「植民地主義」によって引き起こされている、とまでは言うのは、言葉の濫用だろう。

たとえばマリの人々は、治安状況に抜本的な改善をもたらすことができない国連やEUやフランスや周辺諸国及び自国政府の軍事行動に、大きな苛立ちを覚えている。そのため、それらの外国軍が、「マリを二つに分断するため意図的にテロ組織を支援している」、といった荒唐無稽な陰謀論の虚偽情報が流れてくると、喜んで飛びついてしまう。「欧米の植民地主義との戦い」といったレトリックは、ご都合主義的な政治操作のためのミスインフォメーション/ディスインフォメーションだと言わざるをえない。

いくらフランスなどの「西側」諸国の努力が無益なものだったとしても、その代わりにロシアに期待をしようとするのは、特に、軍事会社に過ぎないワグネルの国際人道法を軽視したテロ組織掃討作戦に期待をしようとするのは、悪手と言わざるを得ない。

プーチンの「食糧テロ」で世界規模の消耗戦へ…「二つの植民地主義」にあえぐ世界(篠田 英朗) @moneygendai
ロシア軍は7月24日、ウクライナのオデーサ州の穀物倉庫を破壊した。ロシアは、黒海経由のウクライナ産穀物輸出に関する合意について、ロシアが提示した延長の条件が満たされていないとして履行を停止したばかりだ。ウクライナのクレバ外相は「食料テロ」と呼んだ。 7月27-29日にサンクトペテルブルグで、ロシア・アフリカ首脳会...

ただそれでも、サヘルの劣悪な治安状況と閉塞感にあふれた貧困は、人々にまず手頃なスケープゴートを探させ、次に安直な代替案への期待を膨らませるようにさせる。スケープゴートを見つけるための安直だが、魅力的な、大きな「物語」が、「欧米の植民主義との戦い」だ。

欧米諸国の大学で「ポストコロニアル・スタディーズ」が隆盛して久しい。日本の大学も例外ではない。ポストコロニアル・スタディーズは、植民地化の歴史をたどるだけの学問的視座ではない。独立国となった旧植民地地域が、依然として様々な文化的・経済的・政治的な植民地化の残滓の問題を抱えていることを、現代的視座で暴き出そうとするのが、「コロニアル・スタディーズ」の中心的視座である。

この分野の古典は、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』(1978年)だが、サイードがパレスチナの出自を持っているとはいえ、ニューヨーク育ちでコロンビア大学で教鞭をとっていたアメリカ人であったことは、象徴的だ。特に冷戦終焉後の時代に、欧米諸国の大学では、特にアメリカ東海岸のアイビー・リーグの有名大学などにおける人文科学系の教員たちが、「ポストコロニアル」な視点での学術的議論を競い合った。

大学の教員の間では、欧米諸国の伝統的文化は、否定されるべき「コロニアル」なものだという固定観念が蔓延した。非欧米地域の人々や社会は、知識人の「ポストコロニアル・スタディーズ」の視座によって発掘されるべき隠された豊かさを持っていると仮定された。「ポストコロニアル・スタディーズ」興隆の歴史は、1960年代末に学生運動や反戦運動に参加したベビーブーマーたちの多くが大学で職を見つけたという事情と重なり合っている。

この欧米諸国の有名大学における「ポストコロニアル」な思潮は、明らかに今日の「ポリコレ」の「キャンセル・カルチャー」の運動とも、結びついている。つまりアメリカなどにおける保守層とリベラル層の断絶が深まりとも、無関係ではない。

西アフリカにおけるクーデタは、「キャンセル・カルチャー」の思潮の傾向を帯びている。目の前の諸問題の原因を、歴史的な植民地主義の負の遺産に求め、直近の政策課題との関わりは度外視し、「植民地主義との戦い」のスローガンを優先させる手法は、いわば欧米の有名大学の「ポストコロニアル・スタディーズ」を教える大学教員たちが得意としてきた手法だ。

果たして「ポストコロニアル・スタディーズ」は何を求め、どのような改善策を提供しようとしているのか。たいていの場合、「ポストコロニアル・スタディーズ」が政策的含意のある処方箋に焦点をあてることはない。「植民地主義との戦い」は、ほとんど永久革命のようなものであり、批判と糾弾が不断に続いていくだけに終わったとしても、それは学術的視座としての「ポストコロニアル・スタディーズ」が思い悩むようなことではない。

だが果たして「ポストコロニアル・スタディーズ」の信奉者たちは、「欧米の植民地主義との戦い」をスローガンにして、民主的に選ばれた政治指導者を追放し、ロシア政府やワグネルに事態の打開を期待するクーデタ政権が拡散している状況を見て、何を思うのか。

「ポストコロニアル・スタディーズ」は、「ディスインフォメーション/ミスインフォメーション」が蔓延する風潮と、あるいはロシア政府やワグネル、さらにはアフリカのクーデタ首謀者たちが掲げる「欧米の植民地主義との戦い」というスローガンと、波長を合わせてしまうものを持っているのか。仮に違うとしたら、何が違うのか。

21世紀の世界で、大学人が直面している大きな問いだ。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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