カナダのトルドー首相が18年連れ添った奥さんのソフィーさんと別居の法的合意書に署名したと公表し、驚きを持って受け止められています。別居の合意書なるものが存在するのか、というのも初耳だったのですが、個人的には発展的婚姻関係の解消なのだろうと理解しています。褒める話でも叩く話でもなく、あくまでも当人同士の問題で、両者がそれで残りの人生でより味のある道を歩めるならそれは結構な話だと思います。

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日本では離婚=憎悪関係というイメージが強いのですが、こちらでは人間関係が終焉したわけではなく、用事があれば普通に話すし、お茶ぐらいするケースもあるでしょう。子供たちのことが心配、という声もありそうですが、子供もそのあたりは理解しているし、どうせ、クラスに親が離婚したケースはごろごろ存在しているので「お前んところもそうなっちゃったんだ。でも全然普通だよ」ぐらいだと思います。
20年ぐらい前でしたか、ある日本のエリートで当地でリタイアされた方が私に「この街の人は日本人を含め、離婚者だらけだ。家族をどう思っているのか、理解に苦しむ」と苦言を呈していました。日本的感覚では離婚は家族全体を不幸に陥れる最悪の選択ということなのでしょうが、私はそうは思いません。性格の不一致を我慢するほうがもっと不幸である、と。
日本が高度成長期の頃の日本人の生活パタンは極めてシンプルだったと思います。夫が働き、妻が家を守り、子育てもする、です。夫が転勤になれば妻と子もついていくのが普通でしたが、子が受験期を迎える場合は単身赴任で夫は週に1回から月に1-2回程度家に帰るという生活でした。「チョンガー」ともいうのですが、この言葉は死語なのでしょう。語源は韓国語の独身男を意味する言葉ですが、日本では単身赴任も同類扱いされ、例えば「サッチョン族(=札幌に単身赴任する人)」などと呼んだわけです。
私はこの辺りは非常に冷めた見方をするので反論や異論は多いと思います。日本では夫のことを「お父さん」と呼び、生活全般について妻が自分を半ば犠牲にしてでも夫のやり方や性格に合わせていく、という流れが主流だったと思います。そういう生活形態で定年退職まで走れば夫は妻に「いや、あの時は無理をさせたな」という温かい家族ドラマが生まれ、和気あいあいとした関係となる、という絵に描いたような関係が維持できます。