だが、本人と会話するとそんな感覚は微塵もない。目を輝かせながら「今後が楽しみでしかない。やっぱり自分の人生を自分で舵取りするのは最高に楽しいですね。自分は絶対ここから頑張っていくっす!」みたいに夢を語る。

その逆に華やかな生活をしているように見える人物でも、内心では精神科にかかるほど毎日悩みまくっていて、でも周囲の人に話しても「いやあなたはすでに恵まれた環境に生きているではないか。感謝を忘れているのでは?」と無理解という刃が心に突き立てられる人もいるだろう。

他人が他人の人生を評価したり、理解することは不可能なのである。

他人を見て勝手に絶望する人たち

SNSは幸福より不幸の入り口になっているケースはとても多い。

無意味な他者比較などはその最たるものだ。盛りに盛られて人生の成功者のような投稿ばかりを見せつけられると、どうしても卑屈になり自分の人生が惨めに見えてしまう。だが論理的に考えればこれは愚かなことだ。自分の人生は何一つ変化していないのに、他人を見て勝手に絶望して勝手に自分の人生の点数をドンドン下げてしまっている。それでいて何か経済的見返りがあればまだしも、何もメリットはないのである。

筆者がオススメしたいのは「人生の理想はとことん自己満足でいく」ということである。勉強や仕事は結果を出してナンボなのでこれは除くとしても、何が楽しいか?何を優先するか?というのは他人の意見なんて一切見ずに自己満足で楽しめれば勝ちなのだ。

他人からみれば「結婚なんて搾取されるだけの欠陥だらけの前時代的な制度」と思われても、本人にとっては伴侶や子供とバタバタ人生を楽しんでいるかもしれない。また、マイホームは経済的合理性はないと批判する人がいても、本人が満足していたならそれは最高に理想の人生なのだ。

「理想の人生」は本来は自分にしか理解できないものである。人生を生きる中で何が大事で何がそうでないか取捨選択した中で徐々に見えてくるものであり、他人から押し付けられるものではないのだ。

 

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