黒坂岳央です。

これは今に始まったことではないが、「こういう人生が勝ち組、そうでない人生は負け組」みたいな理想の人生の押し付けは昔からずっとあった。時には赤の他人が勝手に押し付けて来たり、またある時は自分自身で理想の人生との比較をして勝手に卑屈になったり絶望してしまい。

忌憚なき意見をいえば、こんなしょうもないことに一度しかない貴重な人生を消耗するのは今すぐやめるべきだ。他人が考えた「理想の人生」に当てはまる人などいないのだから。

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理想の人生は人の数だけ存在する

理想の人生とはなんだろうか?一昔前は「旦那はエリート社員で妻は専業主婦。郊外に一戸建てを持ち、家族と犬と生活。年に一度はハワイ旅行」みたいなイメージで、今は「FIRE」も1つの選択肢に加わったように思う。

しかし、人間という生き物はそう単純ではなく、以前になかった価値を得て無条件に幸福になるわけではない。極端なことをいうとたとえば大金を得たとしても、今度は為替の価値毀損による実質的な目減りや税金の重みを実感するようになり、「資産防衛」という新たな課題を認識したりする。またFIREして仕事をやめたら、今度は社会性とのつながりに悩むようになってしまったりする。逆に他人から見て気の毒に思えるような人生でも、本人は楽しんでいたりすることもある。

だからコモディティになった「理想の人生」なんて砂上の楼閣でしかない。本来、人の数だけ自分なりの理想の人生が存在するし、それを押し付けて嫉妬したり気の毒がったりは幻の中で生きるような錯覚でしかなく、徹底的にムダだと思うのだ。

他人は勝手に嫉妬したり見下す

人間は社会的な動物であるため、他人の人生と自分を比較して事実を不正確に解釈して、勝手に気の毒がったり嫉妬したりしてしまう。

筆者の知っている人に脱サラして自分のビジネスの拡大に挑戦中の人物がいる。彼はサラリーマン時代は優秀なビジネスマンで、年収800万円は20代後半で以上受け取っていた。しかし脱サラした初年度は年収は半分以下で、家賃の安い埼玉県郊外のアパートに住んでいる。

「リスクを取って起業するのだから、会社員より収入は5倍、10倍増えて然るべき」と考える人から見れば、この人は「負け犬」のように映るかもしれない。見る人が見れば、起業して損したと人生選択をミスと決めつけ、勝手に気の毒がるかもしれない。