ドイツ民間ニュース専門局ntvは3日、「若い医師の悲劇」という見出しの記事を報じた。25歳の医師、ウクライナ人のドミトロ・ビリィさんの話だ。
ビリィさんは2日、ウクライナ南部へルソン市にあるカラベレス病院に初出勤した。その日、ロシア軍が病院を直撃し、勤務中のビリィさんは死去した。2日はビリィさんの初出勤の日であり、同時に最後の日となった。若い医師の死がソーシャルメディアで報じられると、その死を惜しむ声が溢れるなど、大きな反響を呼んでいる。

ゼレンスキー大統領、バフムト近郊の特殊作戦部隊の陣地を訪問、特殊作戦部隊の日に国家賞を授与した2023年7月29日、ウクライナ大統領府公式サイト
ドミトロ・ビリィさんは2021年に医学部を卒業し、実習を重ねた後、耳鼻咽喉科医としてカラベレス病院に初出勤した。その日、ロシアのミサイルが病院の手術室に命中した。報道によると、彼は破片に当たり、その傷害で亡くなった。さらに4人の病院職員が負傷した。
医師の死はウクライナ国内で驚きと同情を引き起こし、ソーシャルメディアでは多くの人々が、犠牲となった医師の写真を共有した。例えば、サポリジャ医科大学の学生評議会はフェイスブックに投稿し、「彼はとても親切で、陽気で、本物のムードメーカーで、いつも笑顔だった」と書いている。さらにその投稿では、「ドミトロは良く学び、優れた医師になる夢を見ており、今日仕事に行くことができたことにとても幸せを感じていた」と綴られていた。
同じ日の2日、ロシア軍はヘルソン市の正教のシンボル、1781年に建てられた聖カタリーナ大聖堂を砲撃した。近くを通り過ぎたバスも被弾した。地元当局によれば、3人の乗客と1人の通行人が負傷した。その後、教会内で火災が発生し、消防隊が駆けつけて火を消そうとしたとき、教会は再び攻撃された。州の災害対策機関の4人の職員が負傷した。
カタリーナ大聖堂はヘルソンで最も古い正教の教会の一つであり、ツァーリーナエカテリーナ2世の寵臣であり、ヘルソンの創設者の一人でもあるグリゴリー・ポチョムキンの墓所だ。ロシア軍は昨年10月にヘルソンから撤退する際、カタリーナ大聖堂を略奪し、大聖堂内に保管されていたポチョムキンの遺体を持ち去っている。
以上はntvウェブサイトに掲載された記事の概要だ。