「労働時間の短縮」

加えて、両名が挙げた「介護」や「エッセンシャル・サービス」などの多くが、「労働時間の短縮」とは無縁の仕事である。その事例を出した後に、「労働時間の短縮は幸福感の向上につながる」(ヒッケル、前掲書:226)や、「労働時間の短縮は、人道的で環境に配慮する経済を築くためのカギ」(同上:227)という主張が並ぶ。

しかしながら、「労働時間の短縮」は収入減につながり、医師の休診が多ければ、患者が困るし、企業におけるイノベーションの機会を確実に減少させることでもある。

また、「生産性向上による利益は、人間を労働から解放するためではなく、絶え間ない成長のために使われたのだ」(同上:228)に至っては、イノベーションとその人類への成果を否定する印象を与える。レントゲンもペニシリンも胃カメラもインターネットも、すべて「生産性向上による利益」による恩恵の一部ではないか。

資格や免許が必要な業種もある

同時にヒッケルの視点には、人の能力・体力の差異への配慮がなく、資格が必要な職への目配りもない。

クルマの運転免許、ケアマネの免許、医師免許、看護師免許、教師免許など「免許」がなければ、仕事に就けない職種は多い。野球やバレーボールや陸上競技の選手として生きるには、それなりの能力・体力が前提になる。

現代資本主義社会でこれらに配慮しないようでは、「人類学から見た資本主義論」の限界を感じる。

ドラッグハンターは労働時間の短縮とは無縁

新薬に限定しても、生物学の学位をもつドラッグハンターであるキルシュがいうように、「新薬が往々にしてひどい遠回りや全くの偶然、さらにはその両方によって発見される」(キルシュ&オーガス、2017=2021:13)。

さらには本文で引用したエールリヒの格言、「新薬探索で成功するには、四つのGが必要だ。すなわち、Geld(金)、Geduld(忍耐)、Geschick(創意工夫)、・・・・・・そしてGlück(幸運)である」(同上:338)からしても、「労働時間の短縮」を最優先していては「ひどい遠回り」による新薬の発見などはあり得ない。

もちろん「忍耐」や「創意工夫」がなくなれば、イノベーションによる人類への恩恵も生まれない。そうすれば、人類の「幸福感」は弱くなるだろう。

平等な国民皆保険

ヒッケルは「労働時間を短縮するためのコストは、不平等を減らすことによって賄われる」(ヒッケル、前掲書:229)とした。

しかし日本のいわゆる制度資本である医療を事例にすると、医療保険制度が依然として有効なので、医療機会への平等性は国民全体でみても維持されている。

これまでは労働時間の短縮や不平等の存在とは別に所得や富の格差はあるにしても、「義務教育、医療、介護、司法、金融などの制度資本」(宇沢、2000:22)では、一応の平等性が保たれている。これもまた現今の資本主義の成果であろう。

その所得で買えないと、「幸福感」は消え去る

確かに「労働力と所得と富を公平に分配すること」(同上:232)は重要だし、さらに「重要なのは所得の額ではなく、その所得で何が買えるか」(同上:232)も大事なことである。

しかし、「労働時間の短縮」で「幸福感を向上」させようとしても、「成長すべきでない産業」が提供してきた牛肉の購入ができず、チーズもバターもヨ-グルトも品薄になり、民間航空機による移動に制限がかかり、物流が自転車中心になれば、それらを求める世界中の人々にとっての「幸福感」はすぐに消失するのではないか。

ポスト資本主義経済の核心

以上紹介したような議論を繰り返しながら、ヒッケルは「ポスト資本主義経済の核心」部分を、「計画的陳腐化を終わらせ、資源の消費に上限を設定し、労働時間を短縮し、不平等を減らし、公共財を拡大する」(同上:234)として、これらすべてが「資本主義の論理を根本的に変える」(同上:234)とした。

これらの「核心」を着実に実行することで、資本主義で提供されてきた商品とサービスの「希少性を逆行させ」(同上:237)て、「コモンズを拡大」(同上:237)することで、「新たな成長は必要とされない」が、「経済は縮小しても、まだ十分豊かだろう」(同上:238)とヒッケルはまとめた。

資本主義システム

ヒッケルの認識からどのような「ポスト資本主義」が誕生するか。なぜなら通常の資本主義システムは、私的所有、市場メカニズム、公的所有、官僚的メカニズムなどが併存している(コルナイ、2014=2023:127)からである。

私は社会学への「資本」概念の延伸化を受けとめて、それらと延伸化された「4大資本」概念を組み合わせて

私的所有(社会関係資本、文化資本) 市場メカニズム(経済資本) 公的所有(社会的共通資本) 官僚的メカニズム(官僚制)

と再整理した注11)。

レトリックだけでは現実性に欠ける

「ポスト資本主義」を想定しながら、「豊かさ・・・が成長の解毒剤である」(傍点原文、ヒッケル、前掲書:238)や「脱成長は、成長を不要にするために・・・・・・・・・・・豊かさを求める」(傍点原文、同上:238)というレトリックを使っても、ここでいわれる「豊かさ」はまず長続きしない。なぜなら、そのような言葉の「綾」だけならば、「ポスト資本主義経済の核心」にイノベーションの余地がなくなるからである。

この表現は、謝辞をのべた相手であるラワースの「成長を活用するけれど期待せず、成長に対処するけれど依存せず、成長を受け入れるけれど求めない」(ラワース、2017=2021:385)とみごとに響き合う注12)。

このような言葉の「綾」からは、「ポスト資本主義」の入り組んだ仕組み(こちらも綾)を描き出す力が得られるとは思われない。

「ポスト資本主義経済」では徳政令が必要か?

何しろ、「古代オリエント社会」を前例として、各方面で「債務を帳消しにする」ことが「無効にすべき成長要求」の筆頭に掲げられたのである(同上:239)。まるで日本史の「徳政令」であるが、「より公平で環境に配慮する社会をつくるためだから、耐えてもらう」(同上:240)。

この主張の根拠には、グレーバーの『負債論』から「借金の返済が道徳の本質でない」(同上:241)が使われた。しかし「債務帳消し」は、おそらくどのような民主主義でもありえないだろう。

ポスト資本主義のイメージ

その他にも現存の銀行システムを攻撃して、通貨の廃止を主張して、代わりに1930年代に提案された「公共貨幣システム」を持ち出してくる。

そのうえで、有益な物やサービスを生産し販売する、労働に見合う報酬を得る、人間としてのニーズを満たす、必要とする人に資金が届く、イノベーションによって高品質で長持ちする製品が作られる、生態系への負荷が減る、労働時間が短縮される、などが詳しいエビデンスもなく並列された。

しかも自分でこのような「ポスト資本主義のイメージ」を語りながら、「はっきり言って、このいずれも、容易には実現できないだろう」(同上:245)と逃げを打つ。

あとは斎藤と同じで、地域社会での「ムーブメントが必要」、「環境保護運動は・・・・・・労働者階級や先住民族と連携する必要がある」(同上:246)というだけであった注13)。

ここには資本主義論の私的所有、市場メカニズム、公的所有、官僚的メカニズムを無視しただけの寒々とした世界が残ったにすぎない。

民主主義による定常経済への希望

そのうえでヒッケルは、いくつかの大学が実施した「自然界に対する人々の考え方」についての調査結果を引用して、二つの「定常経済」への支持が高いことを希望の根拠に使った。それは

定常経済が再生できる量を超えて採取してはならない。 生態系が安全に吸収できる量を超えて廃棄、あるいは汚染してはならない

であった(同上:247)。

そして「何度調べても、民主主義のもとでは資源は100%、次世代のために維持された」(同上:247)として、この実験が「魅力的」だと判断した。

ただしこの内容の設問ならば、建前論的には全員が賛成してもおかしくない。社会的ジレンマ論やフリーライダー論も不要だからである。

民主主義は次善の策

代わりにヒッケルは、「一部の人が自分の利益のために集団の未来を破壊することを許している政治システムが問題なのだ」(同上:248)とした。その理由は「『民主主義』が少しも民主的でない」(同上:248)からだという。

確かに世界全体を見渡せば、民主主義の名の下で選挙が行われても、他国からの選挙監視団を受け入れざるを得ない国もあれば、投票用紙の集計結果に疑問が出される国もある。ロビー活動が政策決定の場になっているという批判が根強い国もあれば、大手のマスコミが世論を動かし、その支配が普遍化している国もある。

しかし、民主主義は絶対王政、ファシズム、社会主義(共産主義)、軍部独裁などの過去の政体よりも「比較的まし」(second best)なだけの政治システムである。

選挙で選ばれた議員はそもそも「一部の人」なのであり、それらの集合が政党なのだから、「一部の人」の質が劣れば「集団の未来を破壊する」ような政策を策定して、実行してしまう。それは日本史でも欧米の歴史でも繰り返されてきた。

民主化とコモンズだけが処方箋か?

ヒッケルの最終的な処方箋は「民主主義を可能なかぎり拡大し、・・・・・・資源をコモンズとして管理する」(同上:250)ところに落ち着いた。そして結論は、「資本主義には反民主主義的な傾向があり、民主主義には反資本主義的な傾向がある」(同上:251)として、「ポスト資本主義経済」への旅は「資本主義を理性によって精査する必要がある」(同上:251)と締めくくった。

しかしそれが二元論を否定したアニミズムで可能なのだろうか。

(次回へつづく)

注7)マンハッタン研究所のミルズの所説を参考にしながら、杉山は電気自動車(EV)と内燃機関自動車(ICE)と比べた場合、石炭火力を使って製造したEVならば、12万マイルを走っても、ICEよりもCO2排出量が多くなるという。さらに「EVは莫大な鉱物視点」を必要とするが、鉱物資源の枯渇が進むので、その品質が悪くなり、コストが上がるとまとめられた(杉山、2023)。

注8)藤枝は、「自然を破壊して日本の国土に敷き詰めた太陽光パネルは、廃棄段階でも深刻な環境リスクを招き、将来世代にとって大きな負の遺産となる可能性」を指摘している(藤枝、2023)。なお私も「再エネ」装置の廃棄については取り上げている(金子、2023:288-290)。

注9)「斜陽産業」もまたその国の発展段階に応じて多種多様である。たとえば日本の1950年代では石炭産業が花形であったが、1960年代後半からは斜陽化して、2000年前後には石炭産業は皆無になった。また、造船業は1973年までは世界一の進水実績を誇っていたが、石油ショック後には発注が激減して、様変わりした。なお、この仮定法はヒッケルが本書で繰り返した手法の一つであり、いずれまとめて論じる予定である。

注10)まさしく「類は友を呼ぶ」である。これは英語圏では“Birds of a feather flock together.”だし、フランス語圏では“Qui se ressemble s’assemble.”というが、人類が共有する関係性の一つである。

注11)コルナイの資本主義の4つの特徴に合わせた4大資本は、私の『社会資本主義』での用語になる。

注12)ラワースの解説と問題点は金子(2023:250-277)で行っている。

注13)斎藤も「資本主義と気候問題」解決には、「抗議運動」、「学校ストライキ」などの「動き」を称賛した(斎藤、前掲書:362-364)。もちろん「労働者階級」との連携でさえも容易ではない。なぜなら、そこでも様々な分裂が生じているからである。

【参照文献】

藤枝一也,2023,「その太陽光パネル、20年後どうしますか?」アゴラ言論プラットフォーム 7月16日. Hickel,J.,2020,Less is more:How Degrowth will Save the World. Cornerstone (=2023 野中香方子訳 『資本主義の次に来る世界』 東洋経済新報社). 金子勇,2012,『環境問題の知識社会学』ミネルヴァ書房. 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房. Kirsch,D.R.and Ogas,O.,2017,The Drug Hunters:The Improbable Quest to Discover New Medicines, Skyhorse Publishing.(=2021 寺町朋子訳『新薬という奇跡』早川書房). Kornai,J.,2014,Dynamism,Rivalry,and the Surplus Economy, Oxford University Press.(=2023 溝端・堀林・林・里上訳『資本主義の本質について』講談社). Raworth ,K.,2017,Doughnut Economics : Seven Ways to Think Like a 21st Century Economist , Chelsea Green Pub Co.(=2021 黒輪篤嗣訳『ドーナツ経済』河出書房新社). 斎藤幸平,2020,『人新世の「資本論」』集英社. 杉山大志,2023,「電気自動車以外は禁止という政策が不適切な理由」アゴラ言論プラットフォーム 7月16日. 宇沢弘文,2000,『社会的共通資本』岩波書店.

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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