去る6月23日に筆者は、IPCC(国連気候変動政府間パネル)の議長ホーセン・リー博士を招いて経団連会館で開催された、日本エネルギー経済研究所主催の国際シンポジウムに、産業界からのコメンテーターとして登壇させていただいた。

当日は初めにリー議長から、今年3月に公表されたIPCCの第6次統合報告書(AR6)の概要について講演があった。

そのなかでリー委員長は、世界が目指す1.5℃目標の実現には残された時間は少なく、温室効果ガス(GHG)の排出を今後7年間、毎年7%ずつ削減していく必要があり、それは極めて難しいチャレンジであることを指摘。

一方で、それに必要な技術は既に存在し、先進国は自ら対策を進めて2040年までにネットゼロ排出を目指すと同時に、途上国の対策を加速することが必要であり、先進国が途上国の削減に向けていかに技術や資金提供していくかが重要である、といった点を指摘した。

こうしたAR6の要旨に対して、主催者である日本エネルギー経済研究所から、筆者を含むコメンテーターに対して、現実には世界のGHG排出が増え続けている中で残された時間は少なくなっており、現実とのギャップが拡大している点や、とりわけ排出拡大が続く途上国の削減を実効あるものにするための課題などについて、コメントが求められ、リー議長を交えたディスカッションが行われた。

筆者は登壇するにあたり、第6次統合報告書の政策立案者向け要約(AR6-SPM)の全文と、要約前の本報告書(Longer Report)の一部を読み込んで準備したのであるが、議長の講演の中や、この報告書を受けて内外のメディアが報じた記事等では注目されていない、いくつかの重要と思われる論点や、統合報告書が声高に語らないものの「つつましく」記載、ないしは暗喩している事実についてコメントさせていただいたので、本稿ではそれらについて再構成して紹介していくことにする。

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AR6は、COP26でパリ協定の気温上昇抑制目標が、従来の2℃目標から1.5℃目標に事実上引き上げられてから初めてIPCCが公表した報告書であり、2014年の第5次報告書(AR5)以降、2021年秋までの期間に、1.5℃目標達成に向けて世界中で発表された様々な査読付き研究論文をもとにアセスメントが行われ、取り纏められている。

ただし興味深いことに、よく読むと同じ温度抑制目標であっても、2℃目標と1.5℃目標ではその前提が異なっているのである。2℃目標実現を描くシナリオの前提は、世界全体の平均気温上昇を産業革命以前から「2℃以内に67%の確率で抑える」こととされている一方で、1.5℃目標の実現を描くシナリオでは、平均気温上昇を「ゼロまたは小さなオーバーシュートを伴って50%の確率で1.5℃以内に収める」ためには何が必要かについて評価されている。

先ず同じ気温上昇抑制シナリオでも1.5℃と2℃では、想定する実現確率が異なっているのである。さらに1.5℃目標の場合には、一旦気温上昇1.5℃を上回る温暖化を容認するものの、その後の対策の強化(いわゆる負の排出対策による温室効果ガス除去)により、長期的な気温の低下を実現して、再び1.5℃以内に戻すという「オーバーシュート」を許容して実現することが想定されているのである。つまり2℃目標と1.5℃目標は等価な目標ではないのである。

ではなぜ1.5℃目標では低い達成確率を許し、さらにオーバーシュートが許容されているのかと考えると、報告書に明記はされていないものの、1.5℃目標を2℃目標と同じ67%の確率で、オーバーシュートなしに達成する道筋は、あまりにも現実性がないために、IPCCが評価した論文の中ではそうした研究は行えなかった(シミュレーションモデルで描く解が得られなかった)のではないかと思われる。

これはあくまで筆者の推察ではあるが、報告書の中にはそうした説明を含めて、この点には触れられていない。

このように、実は異なる前提に立った2つの目標(2℃、1.5℃)を設定したうえで、AR6-SPMでは、今後どれだけの追加的なGHG排出が許容されるかという、いわゆる「カーボンバジェット」の試算値が紹介されている。

先ず気温上昇を1.5℃以内に抑える場合、2019年以降に残されたカーボンバジェットは500ギガトン(CO2e)であるのに対し、2℃以内に抑える場合は1150ギガトンが許されるとされている注1)。

世界は2020年代に入っても毎年およそ50ギガトンのGHG排出を続けているので、1.5℃目標を達成するには残された時間が10年しかない(23年以降であれば7年しか残されていない)ということになる。これがマスコミ報道や、シンポジウムでリー議長が言及したような「緊急事態宣言」に繋がるわけである。

しかしこれはもう少し冷静かつ定量的に考えてみる必要がある。IPCCの報告書によれば、1.5℃目標と2℃目標の差、つまり気温上昇の抑制幅の僅か0.5℃の違いだけで、カーボンバジェットが倍半分も違う(絶対量で見ると650ギガトンも違ってくる)のである。

実際、AR6-SPMのTableSPM.1を見ると、2℃目標を達成するためのパスゥエイ(排出経路)の場合、GHG削減目標は2050年で2019年比64%削減にとどまり、2030年は21%削減で目標に整合し、ネットゼロ達成期日は2070年となっている。これは同じTable SPM.1で1.5℃目標を達成するために必要とされる2030年43%、2050年84%削減という厳しい削減目標と比べて、はるかに緩い削減対策になる注2)。

そこでシンポジウムの当日、筆者はリー議長に対して、「報告書にある1.5℃シナリオの場合、1.5℃を一時的に超えることを許容する『小さなオーバーシュート』を伴って50%の確率で1.5℃目標を達成することを想定しているが、ここでいうオーバーシュートは何℃くらいが想定されているのか?」と質問してみたところ、議長の答えは、約0.2~0.3℃のオーバーシュートが想定されているというものであった。

つまりAR6が示す「1.5℃目標」では、実は一時的にせよ、世界の平均気温が1.7~1.8℃まで気温上昇することも許容されていることになる。はたしてそうした前提の「1.5℃目標」を達成しようとした場合、許容されるカーボンバジェットは500ギガトンなのだろうか?それとも500ギガトン(1.5℃目標)と1150ギガトン(2℃目標)の中間の825ギガトン前後なのだろうか?(この場合、一旦825ギガトンに到達した後に、負の排出対策により大気中のGHG濃度を下げて1.5℃まで下げるというシナリオになる)

AR6のカーボンバジェットを記載する部分に、そうしたオーバーシュートを想定しているかどうかという疑問に答えるヒントは記載されていない(1.5℃目標に言及している他のほとんどの箇所では、必ず「オーバーシュートを伴わない、もしくは小さなオーバーシュートを伴って」という但し書きがついている)。

次に、こうした厳しい1.5℃目標を達成するためには、莫大なコストをかけて削減対策を講じていく必要があるのだが、それにかけるコストと、得られる便益(メリット)の間の帳尻はあっているのだろうか?という疑問が当然生じてくる。

議長が発言したような「極めて厳しいチャレンジ」を行っていくには、それ相応のコストをかける必要があるわけだが、それによって世界は十分なリターンを得ることができるのでなければ、努力は徒労に終わってしまう。