但し、最高裁が差し戻した意義もなくはないと思います。つまり、一義的に正社員から嘱託社員になれば〇%、給与は下がるという社会通念が出来つつある中でなぜ、その通念が生じたのか、論理性と同一労働同一賃金の原則と照らし合わせ、何が違うのかという点を極めよ、というならこの最高裁の判断は日本企業にとって悩ましいものになるでしょう。

私は業務内容的にみて正社員時に比べ80%程度ぐらいは支払うべき事案ではなかったかと思います。つまり、教習所は不当に安い嘱託給与を優越的地位を濫用のごとく押し付けたと思います。

日本で50代になるとなぜ、給与が下がるのでしょうか?これは比較的簡単に説明できます。まず、会社組織はピラミッドであり、平社員から社長までの過程でポジションがどんどん少なくなる「椅子取りゲーム型」組織形態です。これは世界どこでも同じです。海外では椅子に座れなければ辞めて転職するか、一生ヒラでも自己容認します。

ところが日本の場合、終身雇用バンザイ型で年功序列を「経験者」という言葉に置き換えますが、一定年齢になった社員のポジションがありません。そこで「担当部長」とか「担当次長」といった部下のいないポジションを作ります。営業職などは「担当」の肩書は社内向けで名刺には単に「部長」となっています。また、銀行や商社、メーカーなどで子会社、関連会社が多いところはどんどん出向させ、一般的には「永久の別れ」になります。

つまり、日本型雇用はクビに出来ないため、社員をどうにかして温存し、振り向けるためのいびつな人事が行われます。それでも社員の方も「雇われるだけでも良し」というのが日本的発想で「苦しくても、給与下げられても、『わが社』にしがみつく」わけです。社畜といわれる部分でもあります。

更に50代になると企業によっては役職定年があり、「昨日までは部長、今日からヒラ」で役職手当を全部はく奪されたという例も生まれます。50代はまだ体力も気力もあるのに「なぜ」と思うでしょう。理由の一つに「家庭維持に必要な所得が下がる」ので人事の新陳代謝をよくするためにもポジションから降りてもらう、という発想があります。

家庭維持の所得とはすなわち、住宅ローンと子供の教育費です。ただ、この発想には無理があります。なぜなら昨今、不動産は高くなり、25年ローンを35歳の時に組んでも60歳で完済です。昔は早期完済は流行でした。私も27歳ぐらいで船橋にマンションを買って10年足らずで完済しました。今では難しいでしょう。子供の教育費に関しても晩婚型が増え、50代になっても子供がまだ高校生だったりするわけです。これは時代の変化です。つまり50代で給与を減らされると困るのです。

日本は少子化で労働力という点では50代、60代に頼らざるを得なくなります。とすれば逆にやる気を起こさせるために40代ぐらいから専門職へのシフトを推し進め、給与は総合職より2割ぐらい抑えめになるけれど65歳まで今の条件で働け、更にその後、嘱託もあるよ、といったオファーもあるのではないでしょうか? やみくもに給与を下げるのではなく、足りなくなる人材をうまく活用する方法を考えた方がよいかと思います。

では今日はこのぐらいで

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月26日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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