長年、海外から見ていて不思議だな、と思っていたのは日本の給与が概ね50歳前後でピークをつけ、その後、緩やかな下落から60歳になると急激に下落する給与カーブです。
我々が会社に入った頃はここまで下落することはなく、ある程度の給与水準が維持され、定年か出向、出向の場合は給与が2-3割落ちる、ということでした。同じ会社にいながら給与が下がる、これは同一労働同一賃金という発想からは腑に落ちません。

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先週、正社員を定年退職し、嘱託職員に代わった自動車教習所の教習指導員が訴えていた給与格差の裁判で最高裁が高裁に差し戻しをしました。そもそもの話は正社員の時代の給与は16-18万円だったものが嘱託になった途端、同じ業務にもかかわらず8万円以下になったことを訴えたもので地裁、高裁とも理不尽な給与差額は認められないとして原告の訴えを認めたものの、最高裁は「正社員と嘱託職員の業務的性格を明示しないまま高裁は判断を下した」として差し戻したものです。
個人的には最高裁の差し戻しそのものがよくわからないのです。50代後半まで同じ業務をしていた方が60歳になって嘱託職員になった時の業務上の違いは何か、といえば即座には思い浮かばないのですが、最高裁のポイントは役員になれる可能性を検討しなかったとされます。
日経ビジネスには「正社員の基本給には、勤続年数に応じた『勤続給』だけでなく、職務の内容に応じた『職務給』、職務遂行能力に応じた『職能給』としての性質も含まれている」とあり、嘱託職員との論理的差を分析したうえで妥当な差額を個別に提示せよ、という趣旨だとしています。
私は最高裁は正社員の意義を拡大解釈しているとみています。日本は総合職、一般職、専門職、地域限定社員など同じ正社員でも様々な採用形態があり、給与体系もそれぞれあります。総合職ならば転勤をいとわず、日本のみならず世界どこでも赴任命令があれば勇ましく受けるというのが原点でしょうか?その上で昇進もある程度のスピード感があるというのが認識です。
しかし、例えば自動車教習所の教官が50代後半になって役員になる芽があったのか、といえばそれは個別の判断を要しますが、一般的には無いだろうと推測されます。あるいは他の教習所に転勤の可能性があったのかといえばその教習所が他の地域、それも他県など引っ越しを伴わねばならないところに存在し、そこに赴任する可能性がある採用条件だったのでしょうか? 個別事情は分かりませんが、なかったであろう、と推測します。そもそも正社員といえども極めて安い給与です。そこに正社員としての「期待値」があったと考えるのは無理があります。