Appleの共同創業者の1人として有名なスティーブ・ジョブズも実践していたと知られる「禅」。情報過多な昨今において「禅」とは何か? どう実践したら良いのか? その入り口として、松山大耕さん(妙心寺退蔵院副住職)へのインタビュー記事(男の隠れ家 2023年4月号掲載)をここに紹介したい。

【プロフィール】松山大耕(妙心寺退蔵院副住職)
1978年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科を修了し、埼玉県の平林寺で3年半の修行の後、2007年から実家である退蔵院の副住職に就く。2011年には日本の禅宗を代表してバチカンで前ローマ教皇に謁見。2014年にはダライ・ラマ14世とも会談。またダボス会議にも出席するなど、世界の宗教家・リーダーと交流している。著書に『大事なことから忘れなさい~迷える心に効く三十の禅の教え~』『こころを映す 京都、禅の庭めぐり』など。農学の知識を生かし、庭園の名物であるしだれ桜のクローンによる増殖維持にも取り組んでいる。

■禅問答の正解とは、やがて腹に落ちるもの

我々は修行の間、老師から「公案」と呼ばれる問いを与えられます。坐禅している時も、カーンと合図の鐘が鳴ると皆ダッシュで本堂に集まり、次はチリンチリンと鳴ると一人ひとりが暗い堂に入って老師の前に平伏し、自分で“工夫”した答えを言います。それが答えだと思えば、言葉でなくとも何をしてもいい。老師に殴りかかってもいいんです。そして間違っていたらまたチリンと鐘が鳴らされて去る。多い日は1日に4、5回も繰り返されます。いわゆる禅問答というものです。

それぞれに与えられる公案は、容易に答えが見つかるものではありません。当寺にある《瓢鮎図》(ひょうねんず)も「瓢箪で鯰を捕えるには」という公案ですし、「両手を叩くと音がするが片手の音とは」というのも有名な問いです。老師は答えもヒントもくれません。私も3年半の修行中、一つの公案に7カ月かかったこともありました。もはやどうしたらいいかわからず、答えとも思われない言葉を言った時に老師は「おおそれじゃ。それも禅なんだ」と言って下さって。けれどもその本当の意味にふいに気づいたのは、修行を終えて2、3年を過ぎてからでした。

ヒントや答えをもらっていたら、何も残りません。考えて考えて、正解だと言われてもなお考える。その過程を経て、自分の芯のところに落ちます。その時の問いと答えは言えませんが。もしも3年間で1問しか解けなくても、その価値は大きいものです。

禅問答という言葉は相手を煙に巻くよくわからない対話の喩えにされますが、そうではない。弟子が正しい方向に向かっているかチェックするものです。論理的でも科学的でもないですが、そこには唯一無二の答えがあり、だんだんと禅的な方向に向かっていけるように出来ています。お釈迦様の悟りが満月だとすると、それをさす指だけ見ていてもどこにも行き着けません。指さす方向をたどっていけば、いつか悟りに至るのです。

答えだけを知っても意味はありません。修行僧の間でも互いに答えを言うことは昔からタブーとされています。私が飲んでいるお茶の味をいくら説明しても、飲んでいない人に本質は伝わらない。聞いてわかった気になるのは害でしかありません。だから、私が修行中に苦労した問いと正解とされた答えも人に話すことはありません。

ググることになれた大人へ。禅的思考のススメ「答えより大切なもの」
(画像=妙心寺退蔵院副住職の松山大耕さん、『男の隠れ家デジタル』より 引用)