孫正義氏が「創氏改名は強制だった」と信じているようなので、2013年11月21日の池田信夫blogの記事を再掲する。
創氏改名は任意の届け出制だった孫正義氏の本音。米国Bloombergに出演しインタビューに答える孫正義氏。2017年10月放送。司会者「韓国にルーツを持っていますね…日本で差別に苦しんだことは?」孫氏「何度か経験しました…」司会者「ご家族は日本の名字を名乗っていましたね」孫氏「過去のある時期のことですが、実は日本では朝鮮固… pic.twitter.com/EFWtbQb2fR
— Cat すず (@Catsuzuchan_01) July 18, 2023
植民地時代の朝鮮で日本式の氏名をつける創氏改名は、強制ではなく任意だった。1940年に受け付けが開始されてから半年で80%以上が創氏を届け出たが、改名しなかった人もいる。山本七平の描いた洪思翊は朝鮮名のまま、朝鮮人として最高位の中将になった。創氏改名が強制ではなかった証拠である。

1940年の朝日新聞朝鮮版
当時、朝鮮人から出たのは、むしろ本籍を内地に置いて日本人とまったく同じになりたいという希望だったが、日本政府は、戸籍に朝鮮名を必ず併記させたので、日本式の通名を使っても戸籍を見れば身元がわかった。これは「四民平等」の建て前の裏で、朝鮮籍を差別するダブルスタンダードだった。
このように韓国人を一方では同化させつつ、戸籍で差別した植民地政策の矛盾が、韓国人のルサンチマンと日本人の差別意識を生んだ。多くの民族的な姓があるアメリカをみてもわかるように、日本国籍に変えることと名前を日本式に変えることは別である。