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標記判決自体については既にメディア各社が数多く報じているが、概略を簡単にまとめると以下の通りである。
いわゆるトランス女性である上告人は健康上の理由から性別適合手術を受けておらず、生物学上は男性である。勤務先の経済産業省はこの点及び上告人が執務する部署の女性職員の意見等を踏まえ、執務階とその上下階のトイレの使用を禁じている。
上告人はこの使用制限を不当として、一般の女性職員と同等の処遇すなわち職場の女性トイレの自由な使用を認める行政措置を要求するも認められなかったため、裁判に訴えるに到った。
7月11日の最高裁判決は原審高裁判決の「トイレの使用に係る要求部分」についての高裁判断は是認できないとし、法令違反を認め、判決の破棄を命じた。
私がこの判決に初めて触れたとき、極めて大きな驚きがあった。LGBT理解増進法がたちどころに最高裁判決にまで具体的な影響を与え、わが国の代表的中央官庁たる経済産業省にトランス女性の女性トイレ使用を命じる判決を出すのかと驚いたのである。
しかし、判決全文にあたるとすぐに、これは私の全くの早とちりであることに気づいた。経済産業省は上記判決概略に書いた通り、このトランス女性の職員にすでに女性トイレの使用自体は認めていたのである(ネット上の意見などをみると私と同様の誤解をしている方々が意外と多い)。
自分の誤解を正したうえで私は再度この最高裁判決を熟読してみた。その結果、私はこの判決は重大な問題を内包した無くもがなの判決と考えざるを得ないと思い到った。
既に述べたように、経済産業省はこのトランス女性職員に女性トイレの使用自体を認めている(生物学的判定に従って男性トイレ使用を強制していない。なお、同人が女性の服装をすることも認めている)。であれば、この職員がこうむる具体的不利益とは何か。それは、自分の執務階の2階上または下のトイレに行くことにほかならない。
判決文によれば、経済産業省には各階3か所のトイレが設置されているとのことであり、約5分~10分を要するトイレ時間が10分~15分を要することとなると考えればよいだろう。
これは確かに不便といって差し支えないかもしれない。上告人が「日常的に相応の不利益を受けている」との最高裁の認定は誤りではない。が、問題はこの先である。
最高裁判決は言う。
上告人に対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件に具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。
しかし、本当にそうなのか。原判決は妥当性を著しく欠く破棄すべき判決なのか。
私は最高裁が上告人については、明確に「不利益」と言っている一方で、ほかの職員については「配慮」という具体性を欠く曖昧な表現をし(ほかの職員に対する不利益とは言わない)、かつ「職員」という性別を暈かした用語を使っている点が非常に気になる。
上告人がトイレの制限は「女性」として受け容れ難い不利益と考えるのであれば、ほかの職員も机を並べるトランス女性と究極のプライベート空間である女性トイレで日常的に顔を合わせるのは、やはり受け入れ難い具体的な不利益にというべきではないか。
であれば、比較考量すべきはその両者の「不利益」である。
今回の上告は最高裁の判断を仰ぐにはあまりにも矮小な案件といわざるをえない。女性用トイレに行く時間が多少余計にかかるという単なる「不便」の是非を最高裁に訴える利益は本当にあるのか。最高裁が断定した看過しえない「重大な法令違反」とはあまりに針小棒大な判断ではないか。私が「無くもがなの判決」と申し上げたのはそういう意味である。
それでは、なぜ最高裁は本件上告を受理したのか。その理由を解く鍵はむしろ補足意見の方にある。補足意見は本件審理に参加した裁判官5人が全員表明しており、その文章量は主文の倍以上になっている。二人の裁判官の補足意見の一部を下記に引用する。