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国産高級セダン最速は何か?
事前のフリー走行では最速だったベレル
国産高級セダン最速は何か?
1963年5月に鈴鹿サーキットで開催され、実質的に戦後日本で4輪レースの幕開けとなった鈴鹿サーキットでの「第1回日本グランプリ」。
初のグランプリは参加するレーサーやメーカーはもちろん、主催者に至るまでほとんどが素人の手探りによるもので、出走車両もレース専用のフォーミュラカーやGTマシンではなく市販車に手を加えたものばかりでした。
今回はそんな黎明期の日本グランプリを盛り上げた名対決の中でも、1,601〜2,000ccのツーリングカーで戦われるC-VIクラスで国産高級セダン最速を争い、事実上このグランプリの「目玉対決」だった、トヨペット・クラウン(2代目)といすゞ ベレルを紹介します。
事前のフリー走行では最速だったベレル
第1回日本グランプリのT-VIクラス、出場したのはトヨタが1962年10月に2代目へとモデルチェンジしたばかりのクラウン、日産は1962年10月に縦目4灯から横目4灯へとフェイスリフトした初代セドリック、プリンスがモデル末期の初代グロリア/スカイライン。
ここまでは全て1.9リッターエンジンで、1962年4月発売のいすゞ ベレルだけが同じ直4OHVでも2リッターエンジンを搭載し、同年10月にはツインキャブ95馬力のハイパワー仕様も追加、国産高級セダン対決では有利と見られていました。
そう、C-VIクラスとは「国産高級セダン最速を決める対決」だったわけですが、後のストックカーレースでもあるまいに、グランプリがよい宣伝になるのか…といえば、名神高速が同年7月に部分開通、「高速道路時代」が始まる時期ですから、バカにはできません。
グランプリを前にした鈴鹿で4月に開催されたフリートレーニングでは、ファクトリーチューンを受けたベレルが他を圧倒する速さを見せ、市販車の性能ならウチが一番と自信満々だったプリンスなど真っ青になって、撤退しかけたほどでした。