亀姫の先妻というか、武田から徳川に寝返ったために殺された奥平一族の「おふう」の妹は気の毒だというので松平定勝の正室となり、松山藩主家に祖となり、さらに、島津家を通じて今上陛下の先祖になっている。
家康の娘たちのなかでは、北条氏直、続いて池田輝政の正室となった督姫への厚遇が際立つ。母は西郡局といって、大河ドラマではレズビアンの女性として描かれたことが話題になった。北条氏直の死後、池田輝政と再婚した。
すでに嫡男・利隆(子孫は岡山藩祖)がいたが、督姫の子の忠雄もそれ以上の石高が与えられ、鳥取藩となった。督姫が利隆を暗殺しようとしたという伝説があるが、これは信用できない。
忠雄の子孫は、公家の観修寺家を通じて仁孝天皇の母を出し、これも今上陛下の先祖だ。
振姫は五男信吉と同母といわれている。蒲生秀行と死別した後、子どもを蒲生家に残して浅野長晟と再婚して38歳で子を産んだが、高齢出産のためか、すぐに亡くなった。蒲生家の家老とお家騒動を起こしたので家康が処断した。
その後、蒲生家は伊予松山藩主を最後に断絶したが、広島藩の浅野家では振姫の子孫が隆々と栄えた。振姫の孫の綱晟は九条道房の娘と結婚したが、これは、豊臣秀勝(秀次の弟)の曾孫だったので、豊臣と徳川の血は浅野家で一緒になっている。
信康の二人の娘のうち、登久姫は松本城主10万石の小笠原秀政、妙高院は姫路15万石の本多忠政の正室となったが、督姫や振姫に比べて冷遇で、ここでも信康や築山殿を殺したことを悔いていないことがうかがえる。
忠政と妙高院の子が忠刻で、千姫の再婚相手だ。また、小笠原秀政の子孫は、池田家との婚姻を通じて今上陛下の先祖である。
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提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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