写真:Getty Images

7月6日、驚きの移籍発表が行われた。2023明治安田生命J2リーグで現在2位の東京ヴェルディの主力MFバスケス・バイロンが、首位の町田ゼルビアへ完全移籍。シーズン中に昇格争い、首位争いを繰り広げているクラブ間での異例の出来事だ。同県クラブでもあり「禁断の移籍」と話題を呼んでいる。

今季から町田の指揮を執る黒田剛監督は、バスケスにとっては高校時代(青森山田)の恩師に当たる。教え子を好調のチームに呼び寄せ、共にJ1昇格を目指すという構図は熱くドラマチックなものがある一方で、東京V側からすればライバルクラブに重要な選手を引き抜かれた形。ファン・サポーターにとっても驚愕の一報だったに違いない。

今年で30周年を迎えているJリーグの歴史の中では、同県クラブへの移籍はたびたび行われてきた。ここでは、これまで「禁断の移籍」を選択してきた選手たちを3名紹介していく。


齋藤学(横浜F・マリノス所属時)写真:Getty Images

齋藤学

横浜F・マリノスから川崎フロンターレ(2018)

近年Jリーグで移籍に関連して大きなブーイングを浴びた選手として、現在は年頭から所属していたニューカッスル・ジェッツ(オーストラリア)を退団しフリーとなっているMF齋藤学の名前が挙がる。

ユース時代から横浜F・マリノスで育ったが、2018年に同県で互いにJリーグのトップを争っている川崎フロンターレへの移籍を決断。キャプテンであり、背番号「10」を背負った中心選手のまさかのライバルクラブ行きに、多くのJリーグファンが驚いたことは記憶に新しい。

案の定、移籍後初の両クラブ顔合わせとなった2018シーズンのJ1第6節では、怪我から戻り途中出場を果たした齋藤に、スタジアムからは大きなブーイングが浴びせられた。

覚悟の移籍を選んだ齋藤だったが、川崎移籍後も怪我に苦しむシーズンがあり、能力から考えれば結果は決して満足のいくものではなかっただろう。2021年には川崎から名古屋グランパスへと移籍し、その後韓国クラブへの海外移籍も果たしたが、ここでも目立った数字は残せなかった。

もしも齋藤が横浜FMの背番号「10」として在籍していたならば、どんな結果を残していたのか。考えてしまうJリーグファンは多いのではないだろうか。

金子翔太(ジュビロ磐田)写真:Getty Images