如何なる理由があろうが、宗教の聖典を燃やす行為は許されない。宗教関連の聖典・文書だけではない。世界では焚書事件は多く起きている。燃やされた文献、書物は歴史的な文献であったり、一定の思想、歴史を記述しているものが多いが、それを燃やすという行為は著者だけではなく、その国、社会への批判、攻撃を意味する。聖典の焚書が契機となって、大きな紛争が起きるといった事は過去、起きている。

参考までに、世界の近代史での代表的な「焚書事件」を紹介する。

①ナチス・ドイツによるボンファイヤー(1933年):ナチス・ドイツ政権下の1933年5月10日、ドイツ全土でユダヤ人の所有する書物や作品を焚書するボンファイヤー(燃やすための大きな焚き火)が開催された。この出来事は、ナチスの反ユダヤ主義と知識統制政策の象徴と受け取られている。

②文化大革命における焚書(1966年~1976年):中華人民共和国の文化大革命時期には、知識人や文化的なシンボルを標的にした大規模な焚書が行われた。書物や芸術作品が焼かれ、伝統的な文化や知識が抑圧された。

③イスラム主義勢力による図書焼却(2013年):マリ共和国の都市トンブクトゥで、イスラム主義勢力が歴史的な図書館や古文書を焼却した。彼らはイスラム過激主義の観点から、自分たちにとって異端とされる書物を破壊した。

④ISISによる図書焼却(2015年):イスラム過激派組織のISIS(イスラム国)が、シリアやイラクで占拠地域を設立した際に、図書館や文化施設を襲撃し、書物や文化遺産を破壊した。

⑤ソビエト連邦における反政府団体の書物破壊(1930年代~1950年代):スターリン政権下のソビエト連邦では、反政府的な団体や思想に関連する書物が摘発され、焼却されるなどの破壊行為が行われた。

例えば、精神分析学の創設者ジークムント・フロイト(1856年~1939年)はウィーンの代表的ユダヤ人学者だった。彼はナチス・ヒトラーがユダヤ人虐殺を行っていることを知った後もウィーンに留まり続け、外国への亡命を避けてきたが、自身の著書がヒトラーユーゲントの学生たちによって燃やされていることを知って、ウィーンからロンドンへ亡命することを決意したという。

スウェーデンのコーラン焚書事件は1人のイラク人の抗議行為だったのかもしれないが、「焚書」は、思想統制や文化抑圧の一環として行われることが多い。中国では言論・学問・思想などを弾圧した「焚書坑儒」という表現がある。欧州では「本を焼くところでは、やがて人を焼く」というドイツの詩人ハインリヒ・ハイネ(1797年~1856年)の言葉が思い出される。ナチス・ヒトラー政権が出現する前の言葉だ。残念ながら、詩人ハイネの“予言”は当たっていたのだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年7月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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