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突然始まり、気がついたら終わっていたワゴンブーム
庶民のマイカー?であり、貧乏の象徴だったライトバン
突然始まり、気がついたら終わっていたワゴンブーム
「このジャンルは売れる!」とわかった瞬間に後追い製品が多数登場するのはどの業界でも変わりませんし、何なら後追いの方がネガを克服してもっといい製品になり、元祖を市場から駆逐してしまう事もよくある話。
もちろん自動車でも例外ではありませんが、1990年代の日本で巻き起こった「ステーションワゴンブーム」は、ある日突然いきなりワゴンがブームになり、気がついたらブームが終わっており、そして先駆者以外はほとんど生き残らないという、異常な展開でした。
なぜステーションワゴン人気はあれだけ過熱し、メーカー各社が競うように新型車を発売したのか、1990年代のあの頃を数回に分けて紹介します。
庶民のマイカー?であり、貧乏の象徴だったライトバン
戦後日本車の歴史では、やれ国民車だ、マイカー元年だ、モータリゼーションの夜明けだと持ち上げられる1960年代ですが、戦後復興期から高度経済成長期に入って確かに国民の所得は増大したものの、誰もが個人でマイカーを買えたわけではありません。
当時は3C…カラーテレビ、クーラー、マイカーが庶民の憧れ「三種の神器」、つまりテレビやクーラーを優先するならマイカーはガマンです。
何しろ1974年生まれの筆者でも、生まれた頃からあったのは真空管が暖まるまでなかなか画面が映らないカラーテレビくらい、2歳の時(1976年)に初のマイカー、トヨペット コロナマークII(2代目)の安い4気筒グレードが来て、5歳(1979年)でようやくクーラー。
その頃に建売住宅も買って、借家住まいを脱したくらいですから父親の稼ぎはそんな悪くなかったはずですが、よほど熱中して注ぎ込まない限り、一般的な中流家庭が1960年代にマイカーを買うなんて、そうそうなかったようです。
しかし筆者が生まれる以前にも「マイカー」は存在して、会社から使っていいよと言われて乗っていた、古い810ブルーバードバンの前で記念撮影した写真が残っています。
昔は仕事以外に通勤や休日の家族サービスにも使ったライトバンは、いわば「金がなかった頃の思い出」でもあって、あまりいいイメージじゃなかったんですね。
だから庶民が憧れるのは、休日に仕事の臭いなんて野暮なものは感じさせない、独立トランクを持つセダンであり、ステーションワゴンなんて「ライトバンみたいでカッコ悪くて貧乏くさい」と、もう散々な扱いでした。