運輸省との戦い

宅配便事業には二つの省庁が関わっている。運輸省(現国土交通省)と郵政省(現総務省)だ。

最初に戦ったのは運輸省だった。

路線免許の延長申請を5年も棚上げする。新サービス(宅急便Pサイズ)の料金申請の審議を1年経っても行わない。そんな運輸省に、小倉氏は「正攻法」で対抗する。

路線免許については、運輸大臣を相手取り行政訴訟を起こした。運輸省は、申請を放置していた理由が説明できないため、公聴会を開き、その後ヤマトに免許を付与している。

新料金認可については、世論に訴えた。2回にわたり新聞広告を掲載したのだ。1回目は、「X月X日から『宅急便Pサイズ』の提供を始めます」という宣言。2回目は「運輸省が認可しないので、提供を延期します」という理由説明である。

この広告に運輸次官は激怒したという。だが、小倉氏は

「(運輸省に)楯突いた気持ちはない。(中略)あえて言うならば、運輸省がヤマト運輸のやることに楯突いたのである」 (「小倉昌男経営学」 小倉昌男/著 日経BP出版センター)

と意に介さない。広告掲載から約2か月後、ヤマトの新料金は認可された。

そもそも宅急便Pサイズは、学生からの「試験前のノートの貸し借りに宅急便を利用している。もう少し安くできないか」という声に応えたもの。既存の「Sサイズ」より200円安く(1983年当時)使い勝手が良いものだった。小倉氏は著書で「役人は国民の利便を増進するため仕事をするものではないか」と述べる。

郵政省との戦い

ヤマトは、郵政省とも、激しく戦ってきた。いまだ決着がついていないものもある。主な論点は「信書」の扱いだ。

信書とは、「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」(総務省ウェブサイトより)である。平たく言えば、受取人が明記された「手紙」の類を指す。定義があいまいで、判断が難しい。実質、総務省の胸三寸というところもある。現在、日本郵便以外に信書(一般信書)を扱える事業者はいない。

添え状(送付表・送付状)、クレジットカード、地域振興券、これらすべてが「信書」にあたる。郵政省は、そう主張しヤマトに圧力をかけてきた。その手法はかなり狡猾だ。たとえば、ヤマトが1993年に開始した、郵便局の簡易書留よりも安価なクレジットカード送付サービス「セキュリティ・パッケージ」に対する圧力である。

郵政省は、この「セキュリティ・パッケージ」に対し、「クレジットカードは信書にあたる」と警告。ヤマトが裁判で争う姿勢を見せると、郵政省はヤマトより安価な「配達記録サービス」の提供を開始する。価格競争力に劣るヤマトは、裁判で争うことなく、クレジットカード送付サービスから撤退せざるを得なかった。

現在は、総務省のウェブサイトで、「商品券」や「クレジットカード」は信書に該当しない旨が明記され、添え状は「許容」されている(貨物に添付する無封のものに限る)。しかし、「信書とはなにか」についての本質的な議論はいまだ行われていない。

クロネコメール便は、信書問題が原因で廃止に追い込まれた。これに代わる法人限定のクロネコDM便が、日本郵便に移管されるとなれば、議論がうやむやになることが懸念される。

政治家に頼らない理由

小倉氏は、政治家に頼らない人物であった。政治家の「先生」に頼むと、反対派も別の政治家「先生」に頼むため、先生同士の顔を立てた妥協案で決着しかねないからだ。氏は著書にて以下のように述べている。

「中途半端な解決などしたら、百年の悔いを残す」 (「小倉昌男経営学」 小倉昌男/著 日経BP出版センター)

2024年問題を乗り越えた後

今回の移管発表会見では、ヤマト経営陣の「柔らかい」発言が目立つ。

郵政省との過去の確執について問われたヤマト専務 鹿妻明弘氏は

「過去はともかく、そういう時代じゃなくなってきた」 「考え方が少しずつ変わってきた」

と答えている。2024年問題を乗り越えるため、協調するのは当然のことだろう。だが、ヤマトは、岩盤規制を崩してきた最先鋒の企業でもあったはずだ。

ヤマト運輸のウェブサイトには「信書における問題点」と題したページがある。このページがなくなるのは、協調したからではなく、議論が深まり問題が解決したからであってほしいものだ。

ヤマト運輸プレスリリースより

【参考】

ヤマトホールディングス決算資料 日本郵便決算資料 「小倉昌男経営学」 小倉昌男/著 日経BP出版センター