アメリカの捨てる文化にも閉口です。私がマンションデベをやっていた時、トイレ廻りの機器の不具合が出た際にメーカー保証を求めたところ、何も言わずに新しいものと交換してくれました。理由は修理は出張訪問し、問題の発見、部品の発注、修理という段階を経なくてはならず、それをするならさっさと新品と交換した方がコストが安いというものでした。特にトイレ廻りの機器だと衛生上、修理する人も少ないこともあるのでしょう。
修理する文化は世の中、便利になるとともに廃れてきていると思います。理由は何処がどう壊れたか、自己判断できないからです。もちろん、無知な人が分解修理は出来ませんが、大半の取扱説明書には「困ったら」という欄があり、Q&Aが羅列してあります。その中には笑い話にもならない設例、電源は入っていますか?コードはきちんと接続されていますか?といった話が割と多いのです。
日本では少ないですが、北米では駐車場のゲートが自動開閉や建物に入る際に特殊な機器、フォブとかクリッカーと称するものを使い開錠します。時々、客から「フォブが使えないんだけど」とクレームの連絡をもらうのですが、99%のケースは単なる電池切れなのです。非常に小さいコイン型電池が入っているのですが、その存在を知らないわけです。「へぇー、電池が入っているの?」と言われたらこちらが聞きたくなります、「電池がなきゃ、どうやって動くのですか?」と。
修理する文化は重要なのですが、個人的にはさほど広がらない気がします。洗濯機の例ではないですが、「壊れることを期待して」「古くなったことを理由に」新しいものを買う方が魅力的だということなのでしょう。修理はコストがかかるのです。その8割以上は人件費が占めます。そして手間暇もかかります。
私が20年以上使っているスイスの時計は時々オーバーホールが必要ですが、メーカーに頼めば10万-15万円、家電量販店で7万円程度、日本の近所の時計屋なら5万円です。時計はインフレしていて貴金属としての価値が高く20年前と比べ2倍にはなっています。つまり、中古でも極めて高い価格が付くので当然ながらメンテはし続けなくてはいけません。中古市場が確立され、流通しているもの、例えば家、自動車、バイクや自転車、時計は修理をすれば価値の下落は最小限に食い止められます。最終的にはモノを大事にする人には福が来るような仕組みですかねぇ。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年6月28日の記事より転載させていただきました。