先週号の日経ビジネスの特集がブリヂストンでした。もしや、と思い、読み進めるとやはり、ファイアストン買収後に史上最大の失敗と揶揄され、悪戦苦闘したその買収をものにするために送り出された石橋秀一CEOを中心とした紙面構成でした。

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1988年1月、私が勤めた青木建設がアメリカのホテルチェーン、ウェスティンを買収しました。1720億円は当時としては日本企業による海外企業の買収としては破格で、会社が最も意気揚々としていた時期だったと思います。その直後、私はトップの秘書になり、シアトル本社で毎月開催される取締役会に随行するようになってすぐに気がついたことがあります。それだけの大枚をはたきながらホテル事業を理解している人はこの会社にはほとんどいない、と。

今だから申し上げられることはあの買収劇は銀行にそそのかされて購入したけれど会社が持つ能力をトップも銀行も過信していた、それに尽きたと思います。買収したウェスティンそのものは最高の案件だったと思います。その買収にはNYのプラザホテルやハワイのマウナケアなど垂涎の不動産物件も目白押しでした。しかし、買収した青木建設は土木の会社であり、トンネル、宅造、埋め立て、ゴルフ場を作らせれば日本有数だったのにホテル事業ができる人材は極めて限定され、買収した企業の持つ能力を引き出せなかった我々は負け戦も同然だったのです。

それと時を同じくした1988年5月、ブリヂストンがファイアストンを買収しました。その金額3300億円。青木建設のウ社買収のはるか上を行く買収劇となりました。が、ブリヂストンも我々同様、買収先の支配に非常に苦労します。そして数年後、同社のファイアストン買収は史上最悪の買収とまで叩かれたのです。私はその頃、密かに「それは私たちの方だよ」とつぶやいていました。

90年代にある雑誌でファイアストン再興のために石橋秀一氏がアメリカに貼り付いていると記事を読みました。私は当初、この石橋氏は創業家の方かと思ったのですが、違う方でした。カラダを張って再建するその様子に私も興奮せざるを得なかったのです。理由は私も当時の社長から「バンクーバーのウェスティンホテルの敷地での社運を賭けた再開発事業を君に託した」と辞令を受けたからです。また併せてカナダにある5つのホテルを抱える会社の役員となり、トロントの巨艦ホテルは私が担当するバンクーバーの不動産開発会社が99%を所有することになったのです。弱冠29歳、武者震いです。が、もちろんそこからの話は苦労の連続。