
広瀬学氏は、波動・スピリチュアルグッズの通信販売会社オプティマルライフ株式会社の代表取締役である。顧客のニーズに合わせたグッズを的確に提供できることから、「スピリチュアルグッズ専門のドラえもん」、略して「スピドラ」の愛称でも親しまれている。
広瀬氏は、不思議ジャーナリストの肩書で、科学では解明できないこの世の不思議を探求し続けている。いま話題の「波動」にいち早く注目し、その礎をつくったパイオニアであり、専門家でもある。
この連載では、不思議な世界の裏側を見続けてきた広瀬氏が語る「本当にあったスピリチュアルな話」をご紹介する。
今回は、「テネモス創設者・飯島秀行氏」を取り上げる。
人生の大転換期に出会ったフリーエネルギー研究家のテネモス創設者・飯島秀行氏
広瀬学氏(以下、広瀬):今日は、「テネモス創設者・飯島秀行氏」のお話しをさせていただきます。飯島さんは、宇宙で初めて地球真理を説いた覚者の知花敏彦氏の弟子だったんです。
――壮大なスケールですね。
広瀬:わかりやすく言いますと、知花さんは宇宙の法則を知っている方なんです。飯島さんは知花さんから教わった宇宙の法則を使って数々の発明をしたフリーエネルギー研究家です。
――何もない空間から無限のエネルギーを作り出すと言われる「フリーエネルギー」の技術は、天才科学者ニコラ・テスラが完成させていたまことしやかに噂されています。
広瀬:フリーエネルギーは世間ではオカルト扱いですからね。しかし、飯島さんが創設したテネモスグループでは、自然から学び、自然のメカニズムを理解し、現在の学問や常識では説明できない事象を具現化、実践しています。
まずは、私の衝撃的なテネモスとの出会いからお話ししましょう。実は、私の家からテネモスまでは徒歩3分ぐらいで、飯島さんのご自宅までは徒歩5分くらいの距離なんです。
――ご近所だった?
広瀬:私が今の住居に引っ越してきた約16年前には、テネモスはなかったし、その存在すら知りませんでした。テネモスの存在を知ったのは2011年の東日本大震災があったときでした。これまでを振り返ってみても、人生の岐路に立ったとき、私は必ず運命の人に出会うというジンクスがあるようです。私が店長をしていたオーディオショップ「エンゼルポケット秋葉原」ができた2002年には、神様に直接うかがって製品を作るマロさんに出会いました。父親ががんで亡くなったときは、宇宙とつながる魔法のコンセント「アルファ・ジーニアス」のアポロ科学研究所に出会いました。
――いずれもオプティマルライフさんにとってヒット商品に繋がる出会いですから、広瀬さんは人生の転換期に良い出会いを引き寄せているんですね。
広瀬:人の運命を変えることは、「人との出会いしかない」と私は以前から思っていましたので、当然の成り行きだと思っています。特に2011年は私にとって第2の人生のスタートとも言える濃い1年でした。東日本大震災が起こり、「エンゼルポケット秋葉原」を閉店して、長男が生まれ、そして、オプティマルライフを設立したんです。
――そうした人生の大転換期にテネモスの飯島さんに出会った、と。
広瀬:はい。2011年に自宅の最寄り駅の近くに喫茶店のような1階建ての建物ができました。「手作り石鹸」と書かれたのぼり旗が立っていたので、新しい店でもできたのかなと興味本位で覗いてみました。すると、そこがテネモスの会社だったのです。そこで「自然のメカニズムでできた石鹸を作って売っている」ということだったので、最初は「へえ、そうなんだ」ぐらいの軽い印象だったのですが、電池もないのにモーターが回転する装置を見せられてびっくりして、そこから興味津々になってしまいました。