黒坂岳央です。
本来、「批判」はされる側にとってはありがたいものである。自分は記事を書いたり、動画で意見を出している立場だがよく批判をもらうが、気づきを与えてもらえることもよくあるのでそうしたコメントをくれる人には「ありがとう」と感謝を伝えるようにしている。日本には言論の自由があり、批判は自由にしていい。
しかし、同じ批判でも価値のあるものと無益なものに分かれる。賢者は有益で建設的な批判をするが、愚者は無益でただ迷惑なだけの批判で自己満足に浸る。これまで色んな批判を頂いてきた立場から、両者の違いを取り上げたい。

asuu/iStock
知的な人からの批判が有益な理由はシンプルだ。それは相手を高める意図に基づいて行うからである。
本来、批判はする側には何のメリットもない。自己肯定感を得たり、承認欲求を得るメリットはあってもビジネス的な利益はない。自分の時間を差し出して相手を利する行為が批判の本質だ。相手に新たな着想やアイデア、改善機会を提供するつもりで行われる批判は、身を削ってしてくれているものなので大変ありがたい存在だ。
自分はこれまで、数々の賢者からの批判で成長や改善を実現することができた。具体的にいえば、「あなたの話は視聴者不在の”一人説明会”のようでとてもつまらない。もっと対話を意識するべきでは?」というものだった。当時の自分にはグサリときたが、この指摘は大変ありがたいものですぐにメモに書き留めた。以降、人前で話したり、記事や動画では必ず見てくれる相手の心を意識するようにした。
この批判のおかげでそれ以降の話し方は間違いなく改善できたと思っている。これは自分一人ではなかなか気づきにくいものだったので本当にありがたいと感じた。