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日産の転換点・イタリアかぶれの2代目410ブルーバード
トヨタの転換点・アローラインの3代目コロナ
日産の転換点・イタリアかぶれの2代目410ブルーバード

いよいよ戦前以来の名門、「ダットサン」のブランドイメージは盤石かと思われる中、1963年にモデルチェンジしたダットサン410、2代目「ブルーバード」は、イタリアのピニンファリーナーへ依頼した優雅なデザインでデビューしました。
その当時の日本では、イタリアの有名カロッツェリア(デザイン工房)へ新型車のデザインを依頼するのがちょっとしたトレンド。
ミケロッティによるプリンス スカイライン・スポーツ(1962年)、ビニャーレによるダイハツ コンパーノ(1963年)、ベルトーネ時代のジウジアーロによるマツダ 初代ルーチェ(1966年)など数多く、ギア時代のジウジアーロによるいすゞ 117クーペ(1968年)は傑作。
日産も2代目セドリック(1965年)ともども410ブルーバードのデザインを託したピニンファリーナですが、どんなカロッツェリアでも日本で大ウケとはいかず、ミケロッティやピニンファリーナはどうも日本に合わなかったようです。
ヨーロッパ仕込みのトランク部分がスッと下がるエレガントな「尻下がりデザイン」が、モータリゼーション初期のステイタスシンボルとして、迫力やスピード感を求めたユーザーには全く響きませんでした。
翌1964年にはSUツインキャブのスポーツモデル「1200SS(スポーツセダン)」を、1965年には後にブルーバードの象徴となる「1600SSS(スーパースポーツセダン)を追加してスポーツ性を高めても効果なし。
ついに1965年4月のマイナーチェンジで「尻下がり」を改める大掛かりなデザイン変更を行いますが、同年発売された2代目セドリックもピニンファリーナのデザイン不評により、3年後には同様のビッグマイナーチェンジを受けています。
トヨタの転換点・アローラインの3代目コロナ

410ブルーバードの翌年、1964年にコロナを3代目へモデルチェンジしたトヨタは、それまで初代、2代目と繰り返してしまった失敗を一気に挽回すべく、大胆な策を講じました。
まずデザインはフロントバンパーからヘッドライト左右でシャキッ!と立ち上がり、そのままテールへ向けメッキモールつきショルダーラインを駆け抜けた、「アローライン」と呼ばれるデザイン。
「バリカンコロナ」という愛称の元になった、目の濃いメッキパーツによる大型グリルと左右の大型4灯式ヘッドランプをスラントノーズに収めたフロントマスク。
力強くスピード感あふれるイメージを裏付けるべく、開通したばかりの名神高速道路で長距離連続走行テストを行い、一般車との接触事故による離脱を除けばテスト車両は故障もなく完走して、見た目も性能も問題ナシ!とされるや、コロナ史上初の大ヒットとなります。
初代パブリカ(1961年)でも失敗し、「大衆車づくり」に疑問が持たれていたトヨタですが、3代目コロナの成功で自信を深めると、クラウンやパブリカの教訓も踏まえた初代カローラ(1966年)で大衆車メーカーとしての基礎を盤石なものへしていったのです。